『AIR』は2000年にWIN用として、keyから発売されました。
泣きゲーの到達点と言える作品でしたね。
分かっていても号泣してしまったものでした。
<概要>
ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
あらすじ・・・その町には夏が訪れていた。
人形を操るひとりの青年。その周りには子供がふたりだけ。
観客の興味を引くには、青年の芸は退屈すぎた。子供たちは興味を失い、その場を走り去った。
青年は旅のひと。彼の道連れはふたつ。手を触れずに歩き出す、古ぼけた人形。
「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束。
そんな彼に、話しかけるひとりの少女。人なつっこく、無邪気に笑う。
彼女との出会いをきっかけに、この土地での暮らしが始まる。
夏の情景に包まれ、穏やかに流れる日々。陽射しの中で繰り返される、少女たちとの出会い。
夏はどこまでも続いてゆく。青く広がる空の下で。彼女が待つ、その大気の下で。
<オルゴール付きの置時計>
基本的に私はグッズには興味ないし、行列とかにも並ばない方です。
そうであるが故に、逆にこの作品には思い入れが強かったりもします。
というのも、keyは『Kanon』でブレイクしたこともあって、本作は発売前から非常に注目されていました。
それに伴い、販売店の特典競争も加熱していました。
ちなみに、今のアダルトゲームでは販売店ごとの特典は当たり前ですが、昔は必ずしもそうではありませんでした。
販売店ごとの特典が充実し、その注目度が高まっていったのは、大体99年頃になります。
人によって多少前後して感じるかもしれませんが、雑誌とかでも特集で報じられたりしたのが99年なので、特典競争の過熱が全体に認知されていったのは遅くとも99年なのでしょう。
本作は2000年の発売なので、加熱し始めた初期の頃になるわけですね。
そのため、各店が様々な予約特典を用意していたのですが、あの頃は「メッセサンオー」の特典が他所より豪華な印象がありまして。
『AIR』においても、メッセサンオーのオルゴール付きの置時計は、特に豪華だったのです。
それで私も、柄にもなく予約して、発売日に店頭に並んだんですよ。
あの発売に並んだよって人がいたならば、もしかしたら顔を合わせていたかもしれませんね。
その特典の時計は、勿体無くて結局使わずじまいでしたが、今でも大事にとってあります。
<総論>
さて、本作はkeyの作品としては第2弾にあたりますが、おそらくリアルタイムで経験した人の中には、Tactics時代のゲームからの付き合いだという人も多かったでしょう。
『MOON.』からのファンだって人はそれ程多くないかもしれませんが、『ONE』からのファンとなると結構多かったんじゃないでしょうか。
序盤の共通ルートにおけるギャグパートと、終盤の個別ルートにおける泣きパート。
こうした展開は、ファンとしてはすっかりお馴染みの流れでしたね。
その『ONE』からの路線を踏襲しつつ、泣き要素を強化してきたのが『Kanon』であり、『AIR』は更にその泣き要素を極限まで強化してきました。
終盤はもう、涙が止まりませんでしたね。
ゲームでここまで泣いたこともなかったし、おそらく今後もないでしょう。
当時は挿入歌の「青空」が流れると、条件反射で泣けてきたものです。
まさにパブロフの犬状態ですね。
余談ですが、後にアニメ版も見たんですが、やっぱり「青空」が流れると泣けてきました。
小難しいことは抜きとして、どれだけ泣けたかでも本作の評価は変わってくると思います。
私は「普段泣かない」のに泣けてしまった、そして泣けた量でも最高だったから高く評価したけど、そうでなかった人はあまり高く評価しないかもしれません。
『AIR』は、そんなゲームなんだと思います。
人の意見よりも自分の感性に合ったか否かが重要な気がしますね。
新システムみたいな客観的要素がどうとかではなく、こういう感情や主観的側面に訴えかける類のゲームは、理屈では計れないところもあり、万人が同じ認識にというタイプではないのでしょう。
だから私は絶賛するけれど、合わない人がいても不思議でないと思うし、逆に合わない人が一生懸命駄目な部分を並べても、それもとてもナンセンスで滑稽な行為に見えてしまいます。
それから、泣き要素と並ぶkeyの特徴として、ファンタジー要素が混ざる点が挙げられます。
その特徴も、おそらくkey作品の中でも本作が一番ではないでしょうか。
そもそもkeyの作品に関しては、ライターはラテンアメリカ文学のマジックリアリズムへの言及も目立つわけでして。
したがって、マリックリアリズムに理解のある人だと本作も楽しめるのでしょうが、そうでない人だと、ファンタジー要素に違和感を覚える方もおられるようです。
この辺はね、そもそもジャンルが違うのであって、違和感云々は当該ジャンルに対する好き嫌いの話でしかないのでしょう。
マジックリアリズム自体はジャンルとして存在するわけですし、『百年の孤独』で有名なガルシア・マルケスのように、このジャンルでノーベル文学賞を受賞している人もいるわけですからね。
ただ、エロゲユーザーの傾向として、どうもゼロ年代半ば以降に始めたエロゲユーザーは、ガチガチのリアル路線でないと受け付けにくいようで、ファンタジーっぽい要素が駄目という人を見かけるようになったように思います。
個人の趣向もあるので別に無理強いはしませんが、南米文学をはじめ幅広く本を読んでいる人の方が、違和感なくプレイできるのではないでしょうか。
ガチガチの固定観念が出来上がっている人ほど、『AIR』は楽しめないかと思います。
私はガルシア・マルケスとかの本も好きで買って読んでるくらいなので、こういう現実と虚構が混じりあった作品も好きですけどね。
ただ、もう少し分かりやすくすべきだったかなとは思います。
その辺りがkeyの課題とも言えるでしょうね。
特にゼロ年代後半以降、行間を読めないプレイヤーが増えた、全部書かないと理解してもらえないという話を聞くようになりました。
そうしたプレイヤー層の変化からすると、若いユーザーにkeyの作品はフィットしにくいかなと思いますし。
※今にして思うのですが、近年の麻枝さんのアニメは、私は全然楽しめていません。
それに対して、単に才能や引き出しが枯渇して、劣化したのだと思っていました。
全盛時ほどの魅力を感じられないとの見解は今もかわりませんが、この変化は単なる劣化ではないのかなとも思うわけでして。
つまり、もともと麻枝さんの魅力ってかなり尖っていたのですが、若年層もみるアニメ作品ということで、幅広い層に受け入れてもらえるよう理解しやすくという観点から、万人受けするようにあえて尖っていた部分を丸くしたのであり、その結果、アニメ視聴者にも支持されたけど、古参の尖った部分が好きだった人には物足りなく見えるようになったのかもしれませんね。
いずれにしろ、key作品の特徴でもある泣き要素とファンタジー要素、この両者が最も強いのが『AIR』と言えるでしょう。
そういう意味も加味するならば、本作こそが最もkeyらしい、keyを代表する作品と言えるかもしれませんね。
ところで、key作品の特徴としては、もう一つ忘れてはならない笑いという要素があります。
『ONE』の頃は日常パートで描かれる笑いの部分でも評価が高く、また笑いと泣きのバランスも非常に良く出来ていました。
それから『kanon』『AIR』と続いていくのだけれど、作品が進むごとに日常パートはボリュームだけが増えて間延びしていき、キレもなくなっていった感じがしました。
keyの作品に笑いの要素を強く求めていた人には、本作は『ONE』程には楽しめなかったかもしれませんね。
私は『ONE』と『kanon』ですっかりファンになっていたから、本作の日常部分も冗長に感じることなく普通に楽しめました。
しかし、もし『AIR』でkeyが初体験だったとしたら、ここまで褒めていたかは分からないです。
つまりバランス型の『ONE』と違って、『AIR』はかなり偏った構成なのですよ。
『ONE』の頃は万人が楽しめる全国展開用のお酒のイメージでしたが、『AIR』は好きな人はとことん好きだけど合わない人もでてくる、そんな個性の強い地酒みたいな感じなんですよね。
だからその魅力に魅了された私個人は高く評価していても、あまりむやみに人に勧めようって気にはなれない作品でもあるのです。
<ストーリー>
ストーリーの大まかな傾向は前述のとおりになりますが、もう少しだけ補足しておきます。
本作のヒロインは3人です。
PC98後期~WIN初期の『同級生2』とかが流行っていた頃は、ヒロインの数が10人を超えることも少なくありませんでした。
それを考えると、とても少ないですよね。
逆に、ヒロインが2人しかいない作品もありますが、その場合は、AとBのどちらを選ぶのかという明確な意図が存在します。
そうすると、3人というのは、一見すると中途半端なように見えてきますが、これは作品の構造自体が異なるからなのでしょう。
つまり、PC98後期~WIN初期の恋愛ゲームにおいては、多数のヒロインを用意し、あとはプレイするもしないもプレイヤーに委ねるという構造でした。
女の子の好みなんて、人によってバラバラですからね。
様々なヒロインを用意しましたから、お好きなヒロインを攻略してくださいってことですね。
エンタメ的な観点、ゲーム的な観点からは、プレイヤーに強いるのは正しくなく、遊ぶも遊ばないも、どのように遊ぶのかもプレイヤーに委ねるのが正解なのでしょう。
ただ、一つの作品を一つの物語として考えた場合、更にはそれを文学的な観点から考えた場合には、メインで主張したいもの以外は無駄となり、削るべきという考え方になります。
だから、メインルートに関係のないヒロインは削除すべきとの発想になるのでしょう。
本作の場合、最初のDREAM編では、ヒロインが3人です。
メインルートは神尾観鈴ルートとなりますが、他の2人も、主人公と観鈴の関係性との対比の観点から必要といえます。
しかし、裏を返せば、その2人で必要十分であり、それ以上のルートはいらない、つまり他のヒロインはいらないということになります。
DREAM編が終わると、SUMMER編がプレイできるようになり、それが終わると最後のAIR編が始まります。
本作で描きたかったのはAIR編であり、そこにつなぐために必要なものがDREAM編とSUMMER編で描かれているということですね。
つまり本作は、従来の一般的な恋愛ゲームとは異なり、文学的な観点から余計なものを削ぎ落した構造の作品なのです。
従来の恋愛ゲームにおいては、自分のプレイしたいルートだけをプレイすれば十分でした。
それに対し本作は、上記の構造ゆえに、オールクリア必須の構造となりました。
このようなオールクリア必須の構造は、ストーリーとして無駄がなく、文学的観点からも完成度の高い物語を作ることが可能になりますし、ボリュームもあることから、刺さる人には凄く刺さりやすくなります。
そのようなメリットもあるからか、本作の大ヒット以降、泣きゲーが増えたことはもちろんのこと、こうしたオールクリア必須の作品が増えていきました。
これはストーリー重視と考える人にとっては、良い変化だったのかもしれません。
しかし、オールクリア必須でない場合は、自分の好きなルートだけプレイする自由があるわけですから、好きなルートだけプレイして、それで満足できれば十分といえました。
他方、オールクリア必須になってしまうと、意欲の沸かないルートのプレイも必須となりますし、当然のことながら、楽しめないルートがあると、作品全体へのイメージも悪くなってしまいます。
したがって、オールクリア必須の作品は、刺されば高得点になりやすいけれど、逆に低評価にもつながりかねない、諸刃の剣のような構造なのです。
ゲームのプレイなんて、義務でも何でもありません。
楽しめなくなったら文句を言いながら買い続けるのではなく、単に卒業するだけです。
こうしたブログを始めるようになって、オールクリア必須の作品が増えたからエロゲをやめたという人の話をきくようになりました。
ゼロ年代に入り、エロゲバブルが崩壊していきましたが、そこにはオールクリア必須の作品を偏重したことも理由の1つにあったといえるのでしょう。
まぁ、後のエロゲの流行の話は本作には直接は関係ありませんが、本作のヒットの影響は、こういうところにも表れていたと言えるのでしょうね。
ところで、本作のSUMMER編。
個人的には凄く好きでしたね。
雰囲気もキャラも、とっても魅力的でした。
それで涼元悠一さんの名前を知って、本も買ったりしましたし、その後の活躍も期待したのですが、なかなか自分の思うようにもならないものですね。
<感想>
次にグラフィックについては、原画が人を選ぶかもしれないですが、個人的には慣れたら全く大丈夫でした。
なお、私の好みを除けば、一般的には当時の流行路線の絵柄ではあったと思いますし、なんなら原画が樋上いたるさんでなければ、ここまでのkeyの躍進もあったか疑問です。
少なくともこの絵柄は、あの時代にはマッチしていたと思います。
しかも塗りは発売時では業界最高クラスの出来だったと思いますので、このポイントも大きかったです。
keyの作品について、私は名作とすることが多いものの、『CLANNAD』以降は次第に点が下がってます。
その理由の一つとして、『AIR』までは業界最高峰の塗りがあり、そこでも大きくポイントを稼げていたけれど、後の作品は次第に同時期の他所の作品と大きな違いがなくなっていき、塗りでのポイントが稼げなくなっていった点があるのです。
そして、サウンドですね。
これこそが、ある意味一番のkeyの武器なんでしょう。
BGMも挿入歌も、どれも完璧でした。
『AIR』をプレイして泣けたって人は多いと思いますが、おそらくこのサウンドがなければ、泣いた人の数も半減したでしょう。
それぐらい、素晴らしい出来でした。
WIN時代に入ってからのアダルトゲームでは、断トツで最高ですね。
なお、CSへの移植版では音声も付いていますが、そもそものオリジナル版は音声なしで作られています。
本作において、ここは重要なポイントです。
初めから音声を前提に作られた後の作品とは異なり、本作が音声なしを前提に作られたというのは、繊細な人ほど重要な違いになってきます。
すなわち、ここで2つ問題が生じます。
1つは音声が邪魔になって最高水準のサウンドが阻害されてしまうのです。
普通のゲームならサウンドだけより音声がついた方が嬉しいですが、本作は話が別です。
最初から音声ありを前提に作られた作品は、音声とサウンドの調整がなされていますが、音声なしを前提に作られた作品に後から音声を付け加えると、その調整が上手くなされておらず、サウンドの魅力が打ち消されてしまうのです。
声優さんは他の作品でも演技をしていますので、言い換えると、音声では他の作品との間に大差は生じませんが、サウンドは大差が生じる場合があります。
特にkey作品はサウンドが最高なのですから、このサウンドを音声で薄めてしまうのは、ゲームの印象そのものに影響を与えかねません。
もう1つは、音声が付くとどうしてもプレイ時間が伸びがちです。
本作をあまり好きでないという人の意見の中に、冗長というものがあります。
私は大して気にならないレベルでしたが、仮に音声を全部聞いてプレイしていたら、やっぱりだるく感じてしまって今の評価にはなっていなかったと思います。
したがって、『AIR』までのkey作品は、絶対に音声をカットして欲しいというのが私の考えです。
そもそも、麻枝さんだか誰かも言っていたけれど、音声を前提とした文章とそうでない文章は書き方からして違うのですよ。
小説と脚本の違いをイメージすれば分かりやすいでしょうか。
だから音声を前提としないで、読むことを前提に書かれたテキストに音声を付けても変になるのは当然です。
小説の朗読を聞くのが好きという人もいるでしょうが、朗読を聞くより自分のペースで読んだ方が良いって人の方が多数派だと思います。
小説は自分のペースで読んだ方が良いと思うのに、ノベルゲームで音声なしを前提に書かれたテキストに音声を付けた方が良いと考えること自体、私には理解できません。
細かい違いを理解できる人ほど、音声なしを前提にした作品に音声を付けることの違和感を覚えることでしょう。
したがって、音声を付ける場合には、テキストも書き直さなければならないのです。
過去作に対し何でも音声を付けろという人は、私からすればシナリオの良し悪しを全く解せない人にしか見えません。
さらに付け加えると、今はどうだか知りませんが、当時は、こだわるクリエイターほど、ノベルゲーにおいてプレイヤーがクリックするタイミングまで考慮してテキストを書いていたりしたものでした。
そういうこだわりの作品ほど、後から音声を入れることで、違和感が生じやすいのでしょう。
少なくとも『AIR』のテキストの性質からすれば、音声付きでプレイすると全然印象が異なるのであり、オリジナル版とは別物としか思えないです。
<評価>
本作は、私がアダルトゲームのノベルゲームに付けた点数としては、歴代で最高点になります。
もちろん、総合でも文句なしに名作といえるでしょう。
おそらく、これ以上の点を付ける作品も出てこないでしょう。
もっとも、だからと言って、完全無欠の完璧な作品とは全く思っていません。
良い面も悪い面も、かなり癖のある作品ですから。
そのため、無条件に万人にすすめる気にもなれません。
ただ、私のように刺さった人には一生物にもなる、そんな作品なのです。
また、当然key作品の中でも一番の出来だとは思っているのですが、最初にプレイするkey作品には向いてないと思います。
出来うることなら『ONE』から順を追ってやってもらいたいし、あるいは後発のもっと軽めの作品からでも良いでしょう。
とりあえず極限まで追求した本作を最初にプレイすることだけは、あまり芳しくないのかなと思います。
それと、『AIR』はアニメ化もされています。
アニメの方は、音声を前提に脚本が書かれていますので、私はアニメ版はありだと思っていますし、実際、良く出来ていたと思います。
ただ、如何せんアニメでは、尺の関係で省略されていて分かりにくい部分もあるので、アニメ版だけで完全に理解することは無理だと思います。
そのため、アニメで知った人にはぜひゲームをやってもらいたいです。
逆にゲームしかやってない人にもアニメは見てもらいたいです。
名シーンが動くってのは、それだけでも感動ものですから。
最後に、現在のアダルトゲームのほとんどは、読み物としてのノベルゲームになります。
でも、昔はそうではありませんでした。
時代が経つごとにノベルの割合は増えていきましたし、シナリオを重視するというユーザーも増えていきました。
しかし、アダルトゲームの歴史において、シナリオは決して支持される最大のポイントではありませんでした。
1999年までの売上トップの作品を見ると、何かしらのゲーム性があったり、アダルトな要素が含まれていたものです。
中には萌えというキャラ人気で売れた作品もありますが、これはグラフィックが最優先という理由に行き着くでしょうから、キャラ及び萌えはシナリオとは異なるのです。
つまりグラフィックやゲーム性などが最重要ポイントなのであり、ストーリーの良さだけで年間1位の売上となった作品は皆無だったのです。
だから純粋にライター目当てで買われ、シナリオだけを楽しむ読み物タイプの作品が年間で一番売れたのも、アダルトゲームの歴史の中で、実はこの『AIR』が最初なのです。
PC98までのアダルトゲームを知らない人の中には、どうも誤解している人もいるのだけれど、そもそもノベルゲーなんてものは、アダルトゲームでは80年代から存在するのですよ。
でも、存在はするけれど、最初はマイナーな存在でしかなく、そこから10年かけて増えていったわけでして。
その是非はともかくとして、『AIR』が年間で最も売れたという事実が、後の読み物だらけという状況を生み出す決定打になったのでしょう。
そう考えると、アダルトゲームの歴史という観点からも、大きな意義があったと言えるのかもしれませんね。
ランク:AAA(傑作)
Last Updated on 2025-01-22 by katan
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