『Kanon』は1999年にWIN用として、keyから発売されました。
あなたは物語を見て泣いた事がありますか?
<概要>
ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
あらすじ・・・子供の頃の微かな記憶の中にある思い出の街――7年ぶりの再会 そして出逢い
ある、雪の舞い落ちる冬の日…。
俺は駅前のベンチで、いとこの少女、水瀬名雪と7年ぶりに再会した。
今いる場所。
そこは、昨日まで暮らしていた俺が生まれ育った街ではなかった。
急な引っ越しの決まった俺を、快く迎えてくれた名雪とその母親の住む街。
そして、俺にとっては、子供の頃の微かな記憶の中にある、思い出の街…。
雪に覆われたその街で、俺は5人の少女達と共に、小さな奇跡に出会う事になる…。
<感想>
よく映画や小説で泣いたって人を聞きますが、あれって本当なんだろうか。
それとも単に自分が冷たいだけ?
そう思うくらい、私は、何か作品を見て泣いたりする事がなかったんですよね。
もちろん感動するくらいならありますが、泣いたってのは単なる誇張表現だとばかり思ってましたし。
ましてやゲームで泣くなんて想像すら出来ない、ありえない話でした。
そんな私が、初めてゲームで泣いたのが、この『Kanon』でした。
泣けたか否か。
理屈で押すのではなく、感情に訴えかける作品であるが故に、それがこのゲームの価値の大半を占めるといっても決して過言では無いのでしょう。
私がよく例えで言うんですけどね。
人間でも美人ってのは、好き嫌いは別として分かりやすいですよね。
目鼻が整ってるとか、8頭身あってスタイルが良いとか・・・
基準が立てやすいとも言えるでしょう。
でも、可愛いってのは難しくないですか?
あの人が可愛いよって教えてもらっても、そうかぁ~?って疑問に思った事、誰しもあるのではないでしょうか。
可愛いって、基準が人それぞれになりやすいですからね。
『Kanon』は、まさにそんな「可愛い」に属するゲームなんですよ。
ハッキリと誰でもわかる斬新な独自のシステムとかはありません。
緻密かつ計算しつくされた構成や伏線もありません。
人の主観抜きに語れる要素で目立つものは多くはないでしょう。
ストーリーが読んだ人の心を打ったか否か、ある意味、それだけです。
ちょっと誤解を招きかねないので補足しておきますが、私は泣いたから高く評価したのだけれど、「泣いたことだけ」を評価しているのではありません。
「普段」泣かないのに泣けたということは、斬新なデザインやシステムや世界観に出会ったのと同じように、普段の日常で決して得られないものを得ることができたということなのです。
その「普段得がたい経験」をできたということを評価しているわけですね。
だからもし私が物語で頻繁に泣ける体質であったとすれば、この作品に対する評価はもっと下がっていたでしょう。
元祖泣きゲーと呼ばれるくらい、多くの人が涙を流しました。
私も「普段泣かないのに」、涙した。
だからこそ非常に高く評価してるのです。
<ストーリー>
さて、これだけだと身も蓋もないので、ここからはもう少し細かく見ていきます。
ストーリーは大きな分類では恋愛系に属します。
恋愛ものではあるのですが、構造的には、序盤:日常・笑い→終盤:シリアス・泣きという流れになっており、その大雑把な流れとしては『ONE』を踏襲しています。
したがって、『ONE』と同じような路線とも言えるのですが、『ONE』よりも終盤のシリアス部分を厚くし、より一層、感動要素が強調され、それに伴って泣いたという人が増えたことから、泣きゲーという言葉が用いられるようになり、今では泣きゲーとの表現の方が定着したということですね。
それと、泣きゲーというジャンルを確立したとも言われる本作ですが、確立というのも実に曖昧な言葉です。
本作をプレイしても泣けない人だっているでしょうし、逆に本作以前にも泣ける作品だってあるのです。
例えば『同級生2』なんかにしても、多くの人が泣いたって言っていましたからね。
だから本作によって泣きゲーが登場したと言うと、それは完全に誤りとなります。
それに90年代前半までは「~ゲー」みたいに、単一の枠にカテゴライズされるのを嫌う風潮もありましたからね。
時代や価値観が変わり、属性化やカテゴライズがなされるようになり、それに伴い泣きゲーという言葉が99年に使われるようになり、そしてそのキッカケとなったのが本作というだけにすぎないのです。
それは作品の変化ではなく、ユーザーの認識の仕方の変化にすぎません。
だから私は一般論としての泣きゲーの確立という言葉には、作品に対する評価としては何らの価値もないと考えています。
あくまでも自分が楽しめたから評価したにすぎません。
ストーリーは感性に訴えかけ、泣けるか否かで大きく評価が変わりうるので、詳しくは触れません。
ただ、これはkey作品全般にも言えますが、ファンタジー要素や奇跡という非現実的な要素が多分に含まれています。
ヒットした作品に対し、短絡的に1つの事情だけで結論付けようとする人を結構見かけます。
『Kanon』でいえば、泣きゲーを確立したことにより人気ブランドになったみたいな。
でも、それは間違っています。
keyは『Kanon』という作品により、デビュー作であるにもかかわらず大ヒットさせ、一躍大手ブランドに昇りつめました。
しかし、単に泣きゲーを確立させたというだけでは、一部のユーザーに刺さって名作扱いされたとしても、売上は伴わなかったでしょうし、大手ブランドにはなっていなかったでしょう。
泣きゲーであるということは、本作のヒットという観点からは、一つの要素にすぎないのです。
※実際、同じ年に出た別の作品は、泣けるということで一部のユーザーに支持されつつも、大手ブランドからの発売だったにもかかわらず、全然売れていません。
では、本作がヒットした背景は何なのか。
それこそが、ファンタジー性と萌えなのだと思います。
萌えについては、後に語るとして、ここではファンタジーについて記載します。
何事にも流行というものがあり、その時々で評価されやすいジャンルもあれば、そうでないジャンルもあります。
ライトノベルをみてみると、90年代半ばまでは、ハイファンタジーの作品ばかりでした。
『ブギーポップは笑わない』が発売されたのは98年であり、ローファンタジーの作品が受け入れられるようになっていったのは、それ以降になります。
また、ファンタジー要素を排した恋愛ものが支持されるようになっていったのは、ゼロ年代以降の話です。
つまり、90年代に純粋な学園恋愛ものをやっても、支持層は限られてしまい、受け入れてもらえなかったのであり、ヒットして幅広く受け入れてもらう作品を作るためには、ファンタジー要素は不可欠だったのです。
これに対しては、『ときメモ』のように既に学園恋愛ものがヒットしていたとの反論もあるかもしれません。
しかし、あのゲームがヒットした背景には、そもそもゲームとしての目新しさと完成度の高さがあることは忘れてはいけません。
アダルトゲームという観点から見ても、95年から恋愛ゲーが流行し、恋愛がベースにあるという構造は今に至ってもまだ続いています。
つまり、95年から今のエロゲへと方向性がかわったわけですね。
ただ、当初はSLGであったり、ADVでも分岐がキャラが多い等、ゲーム性が加えられることで純粋な恋愛ものも受け入れられていたのでしょう。
それが次第にゲーム性が簡略化され、読む要素が強くなっていきましたが、その場合に現実を舞台にした学園恋愛ノベルは、まだ幅広い層に受け入れてもらうだけの土俵ができていなかったと思います。
そこを勘違いして、学園恋愛ノベルを出したブランドもありますが、それだけではまだ駄目だったのです。
幅広い層に支持されるにはプラスアルファが必要で、それがファンタジー性であり、萌え要素であり、そのうえに泣き要素を加えてきたからこそ、『Kanon』はkeyを一作にして大手ブランドへと牽引できたのです。
このような構造の作品ですので、今からプレイしようとする人が、仮にリアリティ「のみ」を追求するタイプであれば、本作には向いていないでしょうね。
ただ、近年の傾向だと、ファンタジー要素が嫌われるところもあるようですが、ファンタジーがあるから駄目と叩くのは、本作の発売された時代背景をあまりに無視したものではないかなと思います。
また、例えば南米文学も現代小説とファンタジーの中間的な構造を採り、それが世界中でも評価されていますからね、だからファンタジー的要素があるから駄目だと決め付けるのは、ちょっと物事を知らないか読書経験が足らないのかなと思ってしまいます。
<キャラ>
『ONE』では、主人公がボケてヒロインがつっこむ構図が多かったです。
しかし、これだとヒロインの違いを示すのに限界が生じてしまいます。
もっというならば、当時のエロゲに強く求められていた「萌え」に対応できません。
そこが、『ONE』が一部のユーザーに高く評価されつつも、幅広い層に浸透しきれなかった要因でもあるのでしょう、
それに対し本作では、萌えを強く意識した構成になっています。
専らヒロインがボケて、主人公がつっこむという、『ONE』とは逆になった構図も、萌えを意識したからといえるでしょう。
萌えの表現の仕方は、いろいろあると思います。
その中で本作は、あゆの「うぐぅ」のように、口癖で特徴を示すという手段も取り入れてきました。
以後、萌えゲーの多くのヒロインに、かわった口癖を付けることが流行ったんですよね。
この辺の経緯を知らないと、若いユーザーがゼロ年代前半の作品をプレイすると、何でこの頃の作品のヒロインは変な口癖のあるキャラばかりなんだろうと思うかもしれませんね。
「うぐぅ」は、狙ったというよりも、結果的に当時のユーザーの求めるものにぴったりはまった感は否めませんが、市場のニーズに応えたことは間違いないのでしょう。
キャラについては、実は私は、本作の場合、サブヒロインの方が好きだったりします。
水瀬秋子とか、倉田佐祐理とか、美坂香里とかですね。
もちろん、ヒロインも皆良かったですけどね。
うん、プレイしていて思ったのは、栞のように、言葉遣いの丁寧な子は良いよなと。
言葉遣いの丁寧な子がどんどん少なくなっていくように感じていた時期だけに、この子の言葉遣いの丁寧さは印象的でした。
ちなみに、ストーリーについては、あゆルートと真琴ルートが破壊力抜群です。
作品の本筋としては、あゆがメインヒロインなのでしょう。
メインを最初にするか最後にするかは好みなので、どちらでも好きなようにプレイすれば良いのですが、あゆを最初にするなら真琴は最後にプレイするとか、プレイ順は離した方が良いかなと思います。
個人的には、あゆや名雪といった本筋部分を先にクリアして、他のヒロインも間に挟みつつ、最後に真琴ルートが良いかなと思います。
<グラフィック>
グラフィックについて、キャラデザは正直好みによるでしょう。
私も最初はkeyの原画が良いとは思えなかったのですが、ハマってからは大好きになりましたしね。
ただ、当時求められていた萌えに対応するという観点からは、このデザインで正解だったとは思います。
ちなみに、塗りに関しては、99年では最高レベルにあったのではないでしょうか。
この部分は、少なくとも『ONE』から一気に進歩しましたよね。
上記のように元々絵柄は好みではなく、最初から大ハマりしていたというわけでもないのですが、
その時でさえ塗りは良いよなと思っていましたし、この部分は長所と言えるでしょう。
そして最近のkey作品と『Kanon』『AIR』あたりの違いは、実はこの部分が大きかったりします。
『Kanon』『AIR』は塗りも最高水準だったから点がついたけれど、最近はそうでもないことから点がつかないことで、個人的には総合でも伸びない傾向があるのです。
<サウンド>
そして、『Kanon』の生命線たるのがサウンドですね。
あらすじだけ見るとそれほどとも思えないストーリーで泣けるのは、ひとえにこのサウンドがあるからです。
別格としかいいようがありません。
移植版とかでは、音声が付いてるのもあります。
基本的に、ゲームに音声が付く事には賛成です。
でも、『Kanon』や『AIR』に限っては、音声がない方が絶対に楽しめます。
第一にせっかくの最上級のサウンドも、音声によって打ち消されてしまいます。
ある意味一番の肝とも言えるサウンドを消してしまっては、ゲームの魅力も半減してしまいます。
確かに、声優さんらも頑張ってますよ。
でもね、その声優さんらは他のゲームにも出てるんです。
サウンドを消して声だけ聞いてれば、他のゲームと何ら変わらないでしょう。
それでは長所としてポイントにはなりません。
他所にはない最上級のサウンドがあるのだから、それを堪能してもらいたいと思います。
第二に、本来のオリジナル版には声がなく、故に声なし前提でテキストが書かれているため、それに声をつけても間延びして不自然さが残ります。
確か、麻枝さんだかも言っていたと思うのだけれど、音声なしを前提に書いたテキストに音声を本気で付けるのならば、テキストそのものも書き換えなければ駄目なのです。
特に『Kanon』は、ヒロイン側がボケるという構図のため、『ONE』よりやや冗長なんです。
もっとも、読んでいる分には、それは全く気になりません。
テキストも読み進める前提で書かれていますしね。
しかし、そこに声が付くと、声なしより更にテンポが悪くなりますからね。
はっきり言って私は、声の付いたDC版は投げました。
これは全くの別物です。
もし私がDC版だけをプレイして、それで作品を知った気になっていたら、本作を酷評していたでしょうね。
何とも怖い話ですが。。。
テキストの良し悪しや機微なんて理解できない、音声さえ付いていればOKというのなら構いませんが、そうでないのならば自分は声付きはおすすめしません。
できれば、声のない本来の姿で遊んでもらいたいなと思いますね。
<評価>
当時屈指の塗りに、最高品質のサウンドに、強烈な萌えキャラ、それに初めてゲームで大泣きしたという点が加味された点を踏まえて、総合でも文句なしに名作といえるでしょう。
少し大げさかもしれませんが、何気ない風景を芸術の域に高めたのが「ミレー」の絵であるところ、私にとっての『Kanon』はそれに通じるものがあるということですね。
ランク:AAA(傑作)
Last Updated on 2025-01-13 by katan
コメント
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kanon懐かしいですね。
プレイしたのはDC版でした。
丁度、DC版が発売されるちょっと前にプレイしたPC版のONEが非常に好きだったので、
PC版KANONを購入しようかとおもいましたが、
DC版は音声が付いているとのことで、どうせ買うなら・・・と思いDC版をプレイしました。
ですが、何か違うなと数時間で止めてしまいました。
数週間後、閃いたかのように音声をオフにしてやりました所、化けましたね。
(追加したものをカットしておいて変な言葉ではありますが笑)
それからは、kanonに限らず音声をオフにすることが多くなりました。
ただ、音声があることを前提に作られたソフトの場合、
音声オフはちょっと食べ残ししてしまうかなあと葛藤することもありますね。
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たぶん麻枝さん自身が言っていたように思うのですが、音声付きに適した形で本気で移植するのなら、一から文章を書き直すくらいの気持ちが必要だって。
根本的に、読ませる文章と音声で話す文章は異なりますからね。
『Kanon』のオリジナルには音声がなく、当然音声がないものとして書かれていますし、そのテキストに最高にマッチする形でサウンドが流れています。
ジブリ映画でも脚本ではなくあのサウンドで泣かされたんだと語っていた人がいましたが、良い作品ほど全てがマッチしているのでしょう。
そしてマッチしているからこそ、安易に何かを加えてしまうと、元から有していた魅力まで消えてしまうおそれがあると。
音声がつくと『Kanon』の最大の魅力でもあるサウンドが目立たなくなりますし、読ませることで最適に設定されたテンポが崩れてしまいます。何でも音声を付ければ良いってものではなく、その代表例がkeyのゲームなんでしょうね。
だから逆に、最近のゲームのように最初から音声があることを念頭に書かれたゲームならば、音声ありの方が楽しめるのではないでしょうか。