『Blow ~満ちた月、欠けた月~』は、1999年にWIN用としてロッククライマーから発売されました。
主観的には、かなり好きな作品でしたね。
こういう作品がまたプレイしたいものです。
<概要>
ゲームジャンルは詳細は後述しますが、コマンド選択式ADVになります。
ストーリーは簡単に言えば、学園内でレイプ事件が発生し、その後も事件が発生していくことから、主人公は事件の真相をつきとめられるのか、またその過程でヒロインと仲良くなれるのかという、サスペンス+恋愛という一見ありふれたもの。
しかし、いざプレイしてみると、そのヘビーさに驚くと共に、こうしたジャンルに対する悪意と、嘲笑から成り立ってるのではと思わされるのです。
<感想>
誰しも経験があると思いますが、教室内ではいろんな噂話が飛び交うもの。
その噂話が、本作では、画面上の至る所にエフェクトで浮かび上がるのです。
最初は関係ない人におこった事件の話なので、噂が浮かびあがっても大して気にもなりません。
しかし事件が続くにつれ、レイプの対象が主人公のより身近な人たちへと及んでいくことになります。
そして、最終的には全てのヒロインにも及ぶ結果に。
そうなってくると画面上に浮かぶ根も葉もない噂話が、今度は非常に辛い物へと変わっていきます。
鬼畜系ゲームの多くは肉体に対するものだけど、これは精神的に追い込まれていくのです。
同じ事でも、どうでもいい奴と大事な人にされたのとでは全然違いますよね。
その対比が見事に現れていました。
もちろん、選んだヒロインとのハッピーエンドもありますよ。
ハッピーとバッド。
自分の選択で次第で、天国にも地獄にもなるのです。
これは小説にも映画にもない、ゲームだけの特権なんでしょうね。
個人的には、こういう落差の激しいゲームは凄く好きです。
物語を語る媒体はゲーム・小説・映画・舞台等いろいろあるけれど、その媒体の特徴を生かしたものはそれだけで評価に値すると思いますね。
余談ですが、某ヒロインとのハッピーエンドが、実はカニバリズムで終わっちゃたりしまして。
これがハッピーなのかと衝撃を受けた苦い記憶もありましたね。
あのインパクトは凄かったです。
さて、個別ENDをみてみると、事件の真相なんて関係ねえ、ヒロインと仲良くってルートが多いけれど、TRUEルートでは真相解明へと繋がっていきます。
そのTRUEエンドがまた辛い。
ゲーム本編は物語全体においては単なる後日談にすぎず、全ては終わった後の事だったのだと知るはめになるのです。
主人公は無力で何も出来ない事に気付くんですよ。
そしてやりきれないのは、嫌な事件が続くにもかかわらず本当の悪人がいないこと。
誰を責めていいのか、どうすればよかったのかが断言できない。
なんとも、後味の悪い作品でした。
でも、明らかに悪い犯人なんてものが存在するより、よっぽど現実的なのかもしれないですね。
また、本作の説明書には、キャラ紹介と簡単なエピソードが絵入りで書かれています。
ゲームを終了した人は、それが単なる紹介なのではなく、ゲームの更に後日談となっている事に気が付くでしょう。
某キャラに関しては、プレイ前には和やかに見えた状況が、実はかなりエグイ状況だという事がわかります。
説明書の紹介にまで伏線・引っ掛けを用意した制作陣には、本当に脱帽したものです。
ゲームという媒体を、付属品も含めて非常に上手く活かしていたのではないでしょうか。
個人的には、こういう試みは非常に好印象ですね。
どうにも黒い作品だけれども、その中で凄く惹かれた言葉があります。
流石に記憶が薄れてきたので、正確かは全然自信ないけどね。
主人公に言われて、ヒロインが大事にしていた言葉。
「私は月。満ちることもあれば欠けることもある。時には消えて見えなくなることもある。
でも、決してなくなりはしない」
人間、良い時もあれば、死にたいくらい悪い時もある。
誰からも相手されず、また誰も信じられず孤独に感じることもある。
でも、例えどんな状況だろうと、自分という存在はあり続けるんだよね。
例え消えたようでも存在しつづける、そして自分を信じて頑張り続ければ、きっとまた満ちる事もあるはず。
何とも忘れられない作品。
また、こうした作品に出会える日を待ちながら、日々を頑張ってるのかもしれないですね。
次にゲームシステムですが、ノベル全盛となった2000年の前年と言う事もあり、ノベル系のADVとコマンド選択式が混ざったような、中間的なスタイルになっています。
今ではほとんど見かけなくなりましたが、この頃は結構あった形式ですね。
ここがこのゲームの最大の欠点でもありますが、かかるシステム故に今やると古く感じられ、かつ本作自身の難易度が非常に高い事も相まって、敷居は結構高いと言えるでしょう。
キャラが多く、それに対応した分のルートもあるにもかかわらず高難度ですから、覚悟をしていないと挫折しかねないですからね。
それと、ストーリーそのものは非常に良いと思うのですが、実はテキスト自体は普通であり、特別上手くはなかったりします。
その点は注意して、ストーリーの良さとテキストの良さを混同しないようにした方が良いでしょう。
とはいえ、そうした欠点を凌駕する魅力があることは前述の通りです。
ストーリーが持つ徹底した後味の悪さ。
そのストーリーを効果的に演出する画面上に浮かび上がる文字のエフェクト。
ゲーム本編とリンクする説明書。
普通に読んでも楽しめるけど、ゲーム終了後に読むと全く違う意味が出てきたりしますからね。
ゲームの各部分は良いのに、全体で見た場合のトータル的なゲームデザインが駄目ってゲームが多い中で、この作品はその総合的なデザインセンスが非常に秀逸でした。
ハッピーエンドと両極端なバッドエンドを用意してる所も、個人的には凄く好みでしたし。
<評価>
私の評価は、その年の状況を踏まえた相対的な面が多分に含まれます。
そのため、『Blow』に対する評価は、表面上褒めてる割には辛いものとなりました。
点数でいうと84点。以降、ノベルゲーにおいて傑作(85点以上)足りうるかは、『Blow』が基準になっているところもありますね。
それ程、心に残った作品でした。
ところで、この作品を調べた場合、たぶんシナリオライターはココノツさんと書かれていることが多いと思います。
原画:ぶるべら、シナリオ:ココノツのコンビの作品は、プレイした人による高評価のわりには売り上げが伸びなかったのか、ロッククライマー名義での作品はこれ1本だけだったりします。
もっとも、力は評価されていたんでしょうね。
それ以後もTESLA・Chaffとブランドを転々としつつも、何作か作品を出しています。
私はこの作品が気に入りましたので、以後もココノツさんの作品を買い続けました。
でも、何か違うんですね。
まぁそれだけなら、ライターが劣化していくという、わりとよくあるパターンなのでしょう。
しかし、人によっては本作以上に評価されている『Portrait』も、私には何か違うと感じたのです。
この違和感は長く疑問でした。
その疑問が解消されたのは、かなり経ってからのことです。
当時の2chのスレに、中の人が降臨したんですよ。
そこで内部事情をいろいろ語っていたわけですが、その点に関しては片方だけの言い分を鵜呑みにするわけにもいかないだろうし、私がとやかく言う立場ではないのでここでは触れません。
ただ、本作のメインの企画が、サブライターだと思い込んでいた佐村忌さんだということだけは、私は妙に納得出来る気がします。
佐村忌さんの企画・構想が私にフィットしたのだとしたら、ココノツさんがメインで企画した『Portrait』以後の作品が合わなかったのも、当然と言えば当然なんですよね。
佐村さんがメインだった『Blow』は名作と感じ、サブで関わった『Portrait』は良作と感じ、全く関与していない以後の作品は凡作と感じたのも、それならばしっくり来る感じです。
それが当時から分かっていれば、佐村さんの関与している『Portrait』はまだしも、全く関与していない『Coda -棘-』以降は追いかけることもなかったでしょう。
もうゲームからは離れているみたいですが、出来れば佐村さんの単独のゲームというのも、1度は見てみたかったものですね。
ランク:A(名作)
Last Updated on 2025-01-10 by katan
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