弟切草

1992

『弟切草』は1992年にSFC用として、チュンソフトから発売されました。

サウンドノベルと称し、家庭用ゲーム機では初のノベルゲームとなった作品でした。

<概要>

『弟切草』はサウンドノベルの元祖であり、サウンドノベルとは画面全体に表示された文章を読み進め、途中で出てくる選択肢を選ぶことで展開が変わって~ってな紹介で済むならば楽なんですけどね・・・

これだけだと、いろいろ誤解させるだけなので、だめなのでしょう。
『弟切草』に含まれる要素と、ノベルというジャンルの必須要素とをきちんと区分けしない限り、何の意味も持たないのではないかと思うのです。

さて抽象論はここまでにして、具体的に見ていくとしましょう。
まず1点目。当時はよく言われてたことですが、ノベルは画面全体に文字が出て~って要素。
これは間違いです。
以前にコラムでも書きましたが、ゲームシステムと見た目は関係ありません。
実際、ノベル全盛の今では、画面全体に文章の出るパターンはむしろ稀です。

逆に過去に遡って、元祖ノベルゲームたる80年代のノベルゲーたちを見てみますと、これにはゲームブック的なアプローチと、読ませることを意識した小説的なアプローチとがあります。
しかし、システムサコムの「ノベルウェア」をはじめとして、画面全体を文字で覆うデザインではありません。
むしろコマンド選択式等のノベルに属さないADVで全画面に文字を表示するケースが多く、そもそも画面全体に文章が表示される形式は、ノベル特有の特徴ではなくテキストADVと言われる最初期の表示方法です。

『弟切草』がこの手法をとったのは、決して新しいのではなく、ある意味昔に戻ってしまったとも言えるわけです。
この点をノベル独自の特徴として説明でするのは筋違いでしょう。
これがノベルの条件なんて言ったら、80年代前半のADVはどれもこれもノベルになりかねません。
また、表示方法として単に昔に逆戻りしたという意味で、この点につき私は本作を評価していません。

次に、サウンドノベルということでサウンドを強調する見解もありますが、私はそれも解せません。
大抵のゲームにはサウンドはありますし、サウンドを重視したノベルゲーだってありましたからね。
システム構造と密接に関連するならばともかく、そうでないならシステム論で語るべきことではありません。
この当時、他機種では音声入りのゲームも出始めていましたが、それでもまだまだ音声入り自体が非常に珍しい時代でした。
そのため、音声が入っていたのならば、それを特徴として全面に押し出すってこともあるでしょう。
でも、本作はそうではないですからね。
私にはやっぱり普通の作品にしか思えないのです。

またこのゲームをもって、今に続くノベルゲームの元祖に位置づける見解もあります。
ADVをより小説的にということで、ノベルというのは確かに1ジャンルと呼べるでしょう。
でもね、そういう位置づけでも本作は元祖ではありません。
読ませることを意識したノベルの元祖は、ノベルウェアというジャンル名で発売されていた、システムサコムのゲーム達だからです。
80年代にPCを持ってた人は少ないですからね、それ故にサコムのノベルウェアを知る人は必ずしも多くはありません。
しかし、遊んだ人の中では既に多くの高評価を得ていたのも事実です。
何より、後述するように『弟切草』はゲームブックに近いです。
方向性としては読ませることを中心とした小説とも異なります。
現在のADVの多くを見てみてください。
ほとんどがゲームブック的なものではなく、読ませることを意識した読み物に近い構造でしょう。
明らかに『弟切草』とは方向性が異なります。
ストーリーを伝えることがメインで、そのストーリーを効果的にみせるために絵や音が付く。
これはまさに、ノベルウェアの思想でしょう。

じゃあ今日へ続く読み物系とは関係ないのだとしても、ゲームブック的なジャンルとしてはどうなのかとなりますが、この点でも80年代のPCゲームに既に幾つかあるのです。
つまりマルチエンド・マルチストーリーであるとか、選択肢によって分岐するとかって作品ですね。
だから、『弟切草』が元祖ということはありえないのです。
まぁ元祖だろうと何だろうと関係ないって人も多いでしょうし、楽しんだか否かについて他人がとやかく言うべきではないのでしょう。
しかし、お金を取っている評論家が元祖とかって書いている場合には、それは明らかに調査不足ですし、嘘を書いて金を取るのは褒めた行為とは思えませんね。

ちなみに、『弟切草』は分岐の量が半端じゃないわけですが、結局はボリュームを増しただけとも言えるでしょう。
これをどう評価するかは、最終的にはその人次第な気もします。
ただ、仮に評価するにしても、それは新鮮とか斬新ってカテゴリーではなくて、量が増えることで完成度が増したのだという、完成度の方に分類されるんじゃないでしょうか。
私は本作は新しい作品として紹介するのではなく、むしろ既存の要素に磨きをかけた作品だって紹介すべきと思うのですよ。
ただ、この観点からも『キング・オブ・シカゴ』(88)がありますので、分岐の量だけでは特徴にはならないように思います。

以上、ADV的観点から見てきましたが、上記のように私には画期的には思えませんでした。
斬新だとか言っている人は、単にPCでゲームをやってなかっただけです。

とは言うものの、仮に新しくなくても、単純に面白ければ、それはそれで構わないのです。
既存のシステムを発展させた名作なんてのも、いくつもあるわけですからね。

じゃあ『弟切草』はどうなのかとなるのですが、次々に出てくる選択肢によって展開が変わるのを評価するとしても、それって結局ゲームブックと同じなんですよ。
従来のADV的観点からシステムを見ると進歩した気もしますが、ゲームブックも踏まえた上で考えると、大して進歩していないと感じるのです。

最近はゲームブックの数も減ったので、もしかしたら中には知らない人もいるでしょう。
そういう人には新鮮に感じると思います。
しかし、80年代には本屋で大量に扱っていたものです。
当時の文庫本なんて500円もあればお釣りが来た時代ですからね。
それを考えると、本作はコストパフォーマンスも悪すぎでした。
少なくとも私は同じ値段を出すならば、ゲームブックを15冊買った方が良かったと思っています。
今ならボリュームも増えて綺麗なCGも音声も一杯付くでしょうから、それならばゲームブックとも違う要素を楽しめるので、元は取れるのかなと思います。
しかしSFCってこともあって、このゲームは絵がショボイですからね。
そうした楽しみ方も出来ません。
中には、そこは想像力で補えって考え方もありますが、それこそ、だったらゲームブックで良いじゃんよってなるわけで。

まぁ、それでもコンピューターゲーム化しただけでも価値があると、そう考える人もいるでしょう。
しかし、コンピューターゲーム化しただけということに、一体どれだけの価値があるのでしょうか。
例えば、TRPGやボードゲームは1人ではできません。
そのため、コンピューターゲーム化する意義は大きいでしょう。
しかし、ゲームブックは1人でもできます。
そう考えると、ますます評価できなくなるんですよね。
少なくとも、人生ゲームをコンピューターゲーム化したやつの方が、ゲームブックのそれよりもよっぽど有意義です。

それでも、ストーリーが面白ければ話は別なんですけどね。
肌に合わなかったんでしょうね、全然駄目でした。
ホラーだと聞いていたんですが、何か馬鹿ゲーっぽくないですか、あれ。
プレイしてて興ざめしてしまって、ちっとも怖くないんですよね。

後への影響って点でも、あまり価値はないでしょう。
たとえノベルウェアがノベルとしては先だとしても、それによってノベルが普及するには至りませんでした。
だから本作によってノベルが普及したのなら、それはそれで価値があるんだと思います。
しかし本作に続くノベルはなかったわけで。
そういう点で評価されるべきなのは、むしろ後発の『かまいたちの夜』でしょう。

『弟切草』に関しては、わりとプレイ時期でも印象が分かれるようで、かまいたちとか後のノベルをやった若い人が本作をプレイし、その人が今の基準で語るような場合、酷評する割合が高いように思います。
褒める人は逆にこれは元祖なのだからと斬新さを前面に出し擁護するのですが、実は元祖でも何でもないわけですから、私は若い人が感じたようなものを既に感じていたということなんですよね。
こんな馬鹿ゲーに大金をつぎ込むならゲームブックの方がましということで、個人的には非常にもの足りない作品でした。

ランク:D-(凡作)


弟切草蘇生編

Last Updated on 2025-04-23 by katan

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