『リトルバスターズ!』は2007年にWIN用として、keyから発売されました。
keyは変われるのか、それとも変われないのか。
様々な想いと共にプレイした作品でした。
<概要>
ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
あらすじ・・・
主人公・直枝理樹は幼い日に両親を亡くし、絶望の中にいた。
それを救ったのがリトルバスターズと名乗る少年たち(棗恭介・井ノ原真人・宮沢謙吾・棗鈴)だった。
彼らは理樹を連れだし、いろんなものを悪役に仕立て上げ、成敗して回った。
彼らは馬鹿で返り討ちばかりあったけど、とても楽しかった。
彼らと一緒にいると、寂しさや痛みはやがて癒えていった。
そうして時は経ち彼らは同じ学園に入学し、今年で二年生。
今日も恭介の発案の元、馬鹿を続け、彼らは青春をひた走る。
<総論>
これは一体・・・
『リトルバスターズ!』をプレイしていて、絶えず付きまとっていたのはそんな感覚でした。
前作の『CLANNAD』は、これまでのkeyの集大成でした。
だからこそ、本作には新しいkeyの側面を期待せざるを得ないわけで。
また、事前の情報などからも、これまでと異なったアプローチが採られるとばかり思っていたのです。
しかし、蓋を開いてみれば、いつものkeyでした。
それでも今までは、たとえ似た内容でも、何かしらグレードアップをしてきたので、毎回凄く感動することができました。
でも今回は、明らかに『CLANNAD』よりスケールダウン。
正直、これは一体何のためにあるのだろうと考えてしまいましたよ。
確かにね、よくよく振り返ってみると細かなテーマは違います。
これまでの家族愛的なものではなく、今回は友情を扱っていますしね。
今回は魅力的な男性キャラが多かったという特徴もありますし、音声が加わったことも変化といえるでしょう。
しかし、プレイ途中の感覚はいつも通りなんですよ。
それ故に、冒頭の感想になってしまったわけでして・・・
単体としての出来は、平均的な他のゲームよりもはるかに良いです。
今回もまた、ラストではジ~ンってきましたしね。
名作といって間違いないでしょう。
この作品で初めてkeyの作品に触れる人の中には、とんでもない傑作に感じた人もいたかと思います。
しかし、過去にkeyから発売されてきた作品の存在や、本作自身が抱える問題点を考慮した場合、どうしてもこれまでのような凄い高評価というのは無理なように思います。
結局は今回も同じことの繰り返し。
keyの作品に対しては、付合いが長い人ほど冷めて捉えてしまう側面もあるかと思います。
その傾向がより一層顕著に出てくる、本作はそんな位置づけにあるのではないでしょうか。
<感想>
さて、少し具体的に見ていきますと、序盤は笑い、ラストに泣く。
keyの得意とするこの手法は、今回も健在です。
男性キャラは良いし、ヒロインの中では、個人的にはクドがめっちゃツボでした。

主題歌は、今回もとても良かったですね。
ただ、今回は問題も今まで以上に多かったとも思います。
一つは、上述のように今までのkeyそのまんまってこと。
中には『MOON.』からの付合いの人もいるでしょう。
『MOON.』から『CLANNAD』までリアルタイムでやってきた人は、おそらく年もそれなりで時間的にも忙しい人が多いと思います。
そんな人が本作をやって何か得るものがあるのか?って聞かれると、どうしても首を傾げざるを得ないんですよね。
もう一つは、今回は個別ルートが微妙ってこと。
『Kanon』の頃までは、場合によっては好きなルートだけでもOKでした。
しかし『AIR』以降の作品は、オールクリアが必須になりました。
こういう作りの場合には、ラストのシナリオを読む前に個別ルートを必ず見なければなりません。
いくらラストが良いって言われてもね、その前の個別ルートが駄目だと挫折する人もきっとでてくるでしょう。
挫折しないとしても、退屈な時間は免れられません。
また、『Kanon』や『AIR』の頃は、原画の好みは別として「塗り」は業界最高レベルにありました。
しかしながらkeyが停滞してる間に、今では他社が追いつき追い越してった感があります。
加えて音楽面でも、他社に対するアドバンテージはどんどん無くなっていますしね。
<評価>
いろいろ書いてきましたが、今作も、ラストの盛り上がり、キャラの魅力、主題歌のインパクト等から、総合でも十分に名作といえるでしょう。
主観的にいえば、実はかなり好きですしね。
ただ、褒める点がいつも通りで書くことがないなっていうのと、同じ名作でもこれまでとはちょっと違うよねってことで、少し辛口っぽくなってしまいました。
さて、プレイしてから数年間の本作に対する印象は上記のとおりです。
そのため、ここからは加筆部分になります。
記事を更新するにあたり、あらためて本作について考えてみました。
あまり語られることがないように思いつつも、個人的には非常に重視している、物語とノベルゲームとしてのゲームの構造の関係性の話になります。
私は、WIN時代に入り、アダルトゲームのストーリー性は弱くなったと何度も書いてきました。
これは、単に私個人の感想とか、そういう話ではありません。
構造の問題なのです。
恋愛ゲーが流行ることにより、個別ENDが当たり前になることで、従来のような主人公の物語(ストーリー)を描くという構造から、各ヒロインにまつわるエピソード(シナリオ)が描かれるという構造に変化していきました。
つまり、PC98時代までは、主人公の物語を描いており、主人公の言動や軌跡が、ストーリーとして存在していたわけです。
メインとなる太い幹のようなストーリーが存在し、そこにヒロインという要素が従属していたわけです。
しかし、WIN時代に入り、そうした主人公の物語≒ストーリーを描くのではなく、ヒロインのエピソード(シナリオ)を描くことへと構造が変化したことから、シナリオがヒロインに従属するという構造になったのです。
その結果、主人公の物語としてのストーリー性は、構造的に弱くなってしまいました。
俗にシナリオゲーと呼ばれる、ヒロインにシナリオが従属した構造の恋愛ゲームについては、私自身もリアルタイムでハマっていたのも確かですから、一概に否定するつもりはありません。
ただ、事実として作品の構造の変化があり、それにより強いストーリー性を感じられる作品が激減したように感じてしまったこともまた、確かなのでしょう。
本作については、これまで散々、今までとかわっていないという趣旨のことを書いてきました。
しかし、今になって思うのは、本作は主人公である理樹の物語が描かれているのであり、ヒロインにシナリオが従属する構造からの脱却を目指した、まさしくストーリー重視の作品なのです。
これまでのkeyの泣きゲーは、個性的で魅力的な主人公は描かれていても、各ヒロインにまつわるシナリオを読むという印象が強かったですからね。
だからこそ、そこが、これまでのkeyの泣きゲーとの違いでもあるのでしょう。
やっていることはこれまでと変わらないとか、個別ルートが弱いとか、いろいろ問題点を指摘されつつも、人によっては過去最高の盛り上がりを感じることができたのは、本作が最後の最後で、プレイヤーの分身たる主人公の物語を描き切ったことで、プレイヤーの感情移入も過去最高にもっていくことができたからではないでしょうか。
ヒロインにシナリオが従属した構造から脱却し、従来のストーリー重視構造への回帰を図ることで、過去作にもない魅力を生み出すことを目指したのが本作なのだと思います。
そう考えると、本作は変わっていないのではなく、従来の良さを維持しつつも、新たな方向性を模索した意欲作と考えることもできるように思います。
いや、新たな方向性というよりは、むしろ『MOON.』の頃のようなストーリー重視な構造への回帰とも言えるのでしょうか。
そしてそれは、本来であれば、麻枝さんの魅力を存分に発揮しうる構造だと思えます。
ただ、ここは残念ながらとしか言いようがないのですが、その新たな試みが完全に成功していたかとなると、必ずしもそうとは言えないのでしょう。
というのも、まずそもそも、主人公の物語が描かれているという構造と、主人公が魅力的であることとは、イコールの関係ではありません。
確かに本作は、理樹の物語を描いた作品といえるのでしょうが、その理樹にkeyの過去作の主人公ほどの魅力があったかとなると、少し微妙だと思います。
特に終盤までは、作品内のキャラに限ってみても、理樹より周りの男性陣の方が魅力的に感じるくらいですし。
もっとも、この点だけであれば、私の主観や好みの問題といわれてしまえば、それまでなのでしょう。
もっと構造的な観点からいうと、結局のところ本作は、ヒロインとの個別ルートが存在し、そこではヒロインにシナリオが従属するという構造はかわっていないのです。
本作では、各ヒロインとの個別ルートを終えた後にグランドルートに入りますが、その構造は、ゼロ年代前半でも散々見受けられた構造です。
そして本作は、そのグランドルートで、主人公の存在意義を過去作より強めただけにすぎないともいえます。
したがって、本作は、恋愛ゲーのシナリオ構造から脱却し、ストーリー重視への回帰を図った作品ではあると考えることはできるものの、回帰に徹しきれず、両者の中間的な位置にとどまった作品であるといえるのでしょう。
そうした、どっちつかずな立ち位置が本作の問題点でもあり、過去作ほどに突き抜けることができなかった理由でもあるのです。
内容的な変革に意味のあった『Kanon』はまだしも、その後の『AIR』は、90年代中盤までの恋愛ゲームからすればありえない構造でありつつも、そこには一切の無駄のない、極限まで削ぎ落した構造が採られていました。
『CLANNAD』も、基本はゼロ年代前半に流行ったグランドルート構造を採りつつも、その構造と作品のテーマをマッチさせており、そこにプラスアルファを加えようという姿勢も見受けられました。
この物語・テーマには、このゲームの構造が最適だというのが、過去作からは伝わってきたのです。
しかし、本作には、それが感じられませんでした。
このテーマと内容で、なぜこのゲーム構造を採ったのか?
作中にミニゲームをいろいろ入れることで、ちょっとしたミクロな観点からのゲーム性は増しているようにも見えるかもしれませんが、もっとマクロな観点からのゲームデザインという点で、疑問を感じてしまったわけでして。
私が本作を傑作とまでは思えない最大の理由は、ここにあるように思います。
では、どうすれば良かったのか。
従来のkey作品との違いを示したいのであれば、理樹の物語をメインに据えつつ、ヒロインについては、いわゆる途中下車方式(脱落形式)にすれば、少なくとも本作の構造よりは良かったように思います。
ただ、これは形式的な、構造的な部分にのみ着目したものにすぎません。
そこから更に一歩踏み出して考えるならば、つまり本作の題材で、構造的変化を容易にしつつ、麻枝さんの尖ったところを活かそうとするならば、いっそのことBLゲーとして作った方が良かったのではないでしょうか。
これはガチのBLにする必要はまったくなく、男性の友情をメインにした女性向け一般ゲーくらいのニュアンスだと思ってください。
もちろん、そんなことをしたら、売上は大幅に下がるでしょうし、『智代アフター』以上に賛否が分かれていたことでしょう。
しかし、もしかしたら作品としては、尖りまくった大傑作が生まれていたかもしれません。
そこまで踏み込んで制作した方が、おもいきった改革ができたと思います。
私には、『智代アフター』で挑戦した麻枝さんが、心に傷を負い、批判を恐れて安全牌で置きにいってしまったのが本作だというように見えてしまうのです。
それまでの麻枝さんの作品には、どこか、分かる人だけ分かれば良いというような、そういう尖ったところがあったように思います。
しかし、この作品以降の麻枝作品は、優しくかみ砕いてかみ砕いて、より多くの人に理解してもらおうという作品作りにかわっていったように見えてしまうのです。
それは、最大手ブランドとして一般受けを目指す観点からは、正解なのかもしれません。
しかしながら、逆に、無名な頃からのファンが麻枝作品に求めていたものは、どんどん影を潜めていくことになったとも言えるのではないでしょうか。
評価的な観点で言うのならば、私はかなりkeyの作品を高く評価してきたと思います。
好きな作品も多かったですからね。
しかし、本作は名作としつつも、これまでと異なり下降線に感じてしまい、それまでのような絶対の信頼を置けなくなりました。
そこにきて、2010年のアニメ『Angel Beats!』の出来が酷くてね、それで一気にkeyへの関心が失われたように思います。
そういうわけで本作は、節目というか、作品の評価とは別に、また違った想い入れのある作品でもありました。
最後に、ここからは、本当に余談になります。
本作発売当時というのは、もうPC98時代の好きだったブランドやクリエイターがほとんどいなくなり、残っていたアリスにしてもランスシリーズの完結への見通しが経っていないという状況でした。
そこにきての本作ということで、個人的には、リトバスのクリア後の時期というのが、80年代から2018年の『ランス10』の発売までの間で考えるならば、エロゲへの興味が最も薄れた時期だったように思います。
不思議なことに、90年代後半にノベルゲーの当時の代表的ブランドであるリーフが、単なるノベルゲーではなく、ゲーム性を加える方向へ舵を切ったのと反比例するかのように、その後のアダルトゲームはノベルゲーだらけになりました。
また、本作がストーリー重視構造への回帰を図ったのに反するかのように、その後のエロゲは、キャラに、より一層シナリオが従属した形、すなわちキャラゲーと呼ばれる作品が増えていったわけでして。
最大手ブランドの目指した方向性と、市場の需要や流れとがマッチしていないのですよ。
まぁ、マッチしなかったからこそ、人気ブランドも入れ替わっていったといえるかもしれませんが。
いずれにしても、そうした人気路線の作品傾向の変化により、次にどうしてもプレイしたい新作というものが減っていき、もう潮時かな、それなら最後にこれまでの経験を何か残しておこうかと思い始めたことが、翌2008年にブログを開設するきっかけだったともいえるでしょう。
これまでにもゲームブログを始めた理由を書いたことはあったかもしれませんが、なぜ2008年に始めたのかということは、一度も書いていなかったと思います。
とはいうものの、ブログを開設したことで、新たな出会い等があり、結局、その後も10年以上続けているわけですが、引退を考えていた当時の自分には、そんなことは予想すらできなかったでしょうね。
そういうこともあって、まぁ、本作のOPを見るといろんなことが思い出されて、ちょっと感傷的になったりもするわけで、良くも悪くも想い入れのある作品といえるのでしょう。
Last Updated on 2026-03-05 by katan



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