G.R. (グラヴィティ・レスポンス)

1993

『G.R. (グラヴィティ・レスポンス)』は1993年にPC98用として、天津堂から発売されました。

ノベルゲームに対して紙芝居ということはありますが、本作のように公式が電脳紙芝居と紹介する作品も意外と珍しいのではないでしょうか。

<ゲームデザイン>

まずはゲームシステムから入ります。
タイトルだけだと意味が分からないのですが、本作はオムニバス作品であり、2本の話が収録されています。

起動すると、まずGRと書かれた画面が表示されます。
このGRの文字の中を背景がスクロールするので、これはこれで結構格好良かったりします。

その後に、マスコットキャラの「やんやん」が登場して、どちらかのシナリオを選ぶことになります。

公式のジャンルは「電脳紙芝居」。
考えてみると、ノベルゲーだのノベルだの、或いは何々ノベルって皆表現するし、ちょっと揶揄して紙芝居ゲーとか紙芝居って言う人もいるけれど、それってユーザーが勝手に言っているだけなんですよね。
大抵の作品は、一応ADVって名乗っていると思います。
だけどADVとは名乗ってみたものの、現在は伝統的なADVの構造を有しているものはほとんどなく、実際は紙芝居じゃんってことで、結局は紙芝居って言われてしまうのですけどね。

大抵の場合は、このジャンルに好意的な人はノベルという言葉を選び、馬鹿にしたり揶揄する場合に紙芝居と用いられるように思います。
でも、ときどき思うのですが、そんなに紙芝居って言葉が嫌いですか?
ギャルゲーだってそもそもジャンル名ですらないし、当初は女の子しか特徴のないクソゲーってことで馬鹿にした言葉だったんですよね。
その差別的表現を後の人が好意的に解釈することで、馬鹿にされているというイメージが次第に抜けていき、今では普通に使われています。
だったら紙芝居も素直に認めて公式に電脳紙芝居で良いのではと、私なんかは思ってしまうのですけどね。
制作する側は、そんなに嫌なのでしょうか・・・

もっとも、うちは素直に認めてしまおうってことかもしれませんが、本作は「電脳紙芝居」と説明されています。
ノベルと題したゲームは他にもあるけれど、これは紙芝居ですって言い切った作品は珍しいですね。
これより前にあるかは、ちょっと思い出せないのですが、何かあれば教えてもらえると助かります。

90年頃から一時期減ったノベル系の作品が再び増加に転じたのが93年でしたが、本作もその中の1本になるのでしょう。
選択肢による無数の分岐というゲームブック的なノベルゲーの構造の基礎を作ったのが、88年の『キングオブシカゴ』。
逆に読み物として、シナリオ特化の方向性を目指したのが、同じく88年から始まるシステムサコムの一連の「ノベルウェア」。
ノベルゲーとしての基本構造はその時点で確立しており、後は演出的にどこを強調するのかとなるわけで。
92年の『弟切草』が効果音などサウンドに特徴を持たせ「サウンド」ノベルとしたならば、こちらはエロゲとして絵にも力を入れたのだと。
でも「デジタルコミック」はコマンド選択式のゲームに使われることが多いので、「ビジュアルにも力を入れたノベルゲー」には言葉として相応しくない。
それで電脳紙芝居となったんですかね。
各社がどこに力を入れたかで様々な言葉を用いているので、興味深い分野でもあるのですけどね。
まぁ、まともな分析を見たことがないから、興味を持っているのは私だけかもしれませんけれど・・・

閑話休題。まぁ名称は何であれ、紙芝居ゲーですので、その名の通り読むだけです。
2本の物語は『SEEKER』と『がっつまんの思春期万万歳』なのですが、どちらもコマンドなどはなく、基本はクリックして読み進めるだけです。
ただ、『がっつまんの思春期万万歳』の方は半分クイズゲーなので、質問に対して選択肢を選ぶことになり、その点で一応ゲームっぽさは残していますけどね。
もっとも、クイズって言っても本当にプレイヤーを悩ませるのではなく、正解は常に一番上・・・だったような。
他の選択肢はHシーンを見るためのものなので、実質的にはやっぱり一本道のノベルに近いのかなと。

<感想>


収録されているシナリオのうち、1つ目は『SEEKER』になります。
こちらは、以前紹介した『WAVER -The Seeker2-』の前作にあたり、ストーリー上のつながりはないのですが、方向性が同じになります。
つまり、館を舞台にしたSM系の作品となるわけですね。
PC98時代のゲームというと、館ものであったり、淫靡さの漂う作品が多かった印象を持つ人もいるのではないでしょうか。
実際、PC98の後半、すなわち93年の後半からはそういう作品が増えていきます。
しかし、それ以前は、実はそういう作品は少なかったです。
特にソフ倫が発足された92年は、全時代を通じても特にエロの薄い時期でしたし。
本作は93年の1月の発売ですので、ジャンル的にも珍しかったと言えるでしょう。
ましてやそれがコマンド選択式ADVでなくノベルゲーであるとなると、より一層貴重です。
本作は、後に増えていくジャンルの先駆け的存在でもあったのでしょうね。
こういうのは後続で優れた作品が出てくると、存在価値が忘れ去られそうになり、損をしやすいと思います。
個人的には、他所より先駆けて新しいことに挑戦する姿勢は、素直に評価されるべきと思いますけどね。


もう一本のシナリオは、『がっつまんの思春期万万歳』になります。
こちらは一転して明るい雰囲気です。
ぶっちゃけて言えば馬鹿ゲーですね。
女3人が一緒にいたところ、雨が降ってくると共に、ガンツ先生が登場。
そこからなぞなぞ勝負になるのですが、なぞなぞで間違えると服を脱がされてしまいます。
胸だけ残して幼児化とか、淫乱攻撃が待っているのです。
こちらはマルチエンドだったと思います。
それと、ある意味最大の特徴なのですが、開始前に標準語と関西弁から選べます。
アリスソフトの『HUSHABY BABY』(1999)でも標準語と関西弁を切り替えられましたが、こちらの方が先になりますね。
このような方言を選べる作品は絶対数が少ないので、好きな人にはたまらない仕様と言えるのではないでしょうか。

私は本来、『SEEKER』のような暗い作品のほうが好みなのですが、本作に関しては『がっつまんの思春期万万歳』の方が好きだったかなと。
ストーリー自体は『SEEKER』の方がまとまっているのでしょうが、グラフィック・演出など総合的に見ると、『がっつまんの思春期万万歳』の方が楽しめるって感じです。

<グラフィック>

ということで、そのグラフィックですが、天津堂は、もともとグラフィックの技術面で非常に有名なブランドでした。
いわゆる天津堂塗りと呼ばれた塗りの技術は業界随一でした。

『SEEKER』は頭身高めのキャラで、『がっつまんの思春期万万歳』の方は頭身は低め。
その辺は好みの問題でもありますし、それぞれのシナリオとの相性を考えれば使い分けたのは正解なのでしょう。

ただ、『がっつまんの思春期万万歳』の方が演出が凝っていたので、それで私はこっちの方が好きなんですよね。
今ならカットインの手法は珍しくないのですが、この当時、カットインを効果的に使用するブランドはそれほど多くなかったことから、印象に残りやすいのです。
これにより表情の変化も上手く表現できていましたし、さすがは天津堂ってところでしょうか。

<評価>

結構見るべきところの多い本作。
時代と共に良さが分かりにくくなる作品でもあるので、予備知識なしに今やっても全く良さが分からないかもしれません。
もっとも、93年頭という発売時期や当時の主流などを考慮すれば、その特徴も結構見えてくるのではないでしょうか。

とはいえ、絶対的にボリュームが足りなかったです。
これはその当時の他作品と比べても足りないです。
まぁ、ミドルプライス級の作品なので、ある程度は仕方ないかもしれませんけどね。
でも、安いなら数時間で終わっても平気という人もいるのでしょうが、私は安くてもある程度のボリュームも欲しいなと思ってしまいます。
その点だけが、非常に残念な作品でもありましたね。

ランク:B-(良作)


グラヴィティ・レスポンス

Last Updated on 2024-09-18 by katan

コメント

タイトルとURLをコピーしました