『たねつみの歌』は2024年にPC用として、ANIPLEX.EXEから発売されました。
国シリーズのKazuki氏が商業作品を出すということで注目した本作。
演出の優れた作品でしたね。
<概要>
ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
選択肢のない、完全な1本道の作品になります。
あらすじ・・・
幼い頃に母を亡くしたみすず。
2023年の春、16歳の誕生日を迎えたみすずのもとに、一人の少女が訪ねてくる。
それは、16歳の母・陽子だった。
神々が住まう「常世の国」で行われる「たねつみの儀式」。
その巫女に選ばれた陽子は、旅の仲間としてみすずを誘うため、1996年からやってきたのだと告げる。
たねつみの儀式は、不死である神々が新たな時代へと世代交代していくために必要な、神々の葬式。
「たねつみの巫女」は常世の国を巡り、大地に穢れをもたらす「本当の冬」が到来する前に、古い神の長たちに死を受け入れてもらわなければならないという。
陽子に誘われたみすずは2050年に赴き、16歳になったみすずの娘・ツムギも仲間に加えて常世の国へと向かう。
水先案内人として現れた、自身をみすずの弟と名乗るヒルコを交えて、四人は本当の冬を迎えつつある詩情豊かな国々を旅していく。
時を越え、奇跡のように集った少女と少年。
旅の果てに、彼女たちがたどり着く結末とは――。
<グラフィック・演出>
たとえるならば、弱小チームのエースが常に優勝争いをしている名門チームに移籍してどのような活躍を見せるのか。
それと同じような期待と僅かながらの不安を抱いて本作の発売を待ったものでした。
本作の最大の魅力は、何といっても演出にあるのでしょう。
ここまで動かすのかというくらい、演出の凝った作品でした。
演出の良いノベルゲーというと、派手にピカピカ光らせてエフェクトが派手なだけの作品もあったりしますが、本作はそうではありません。
きちんと、その場面に応じて、必要な動き、必要な魅せ方をしているので、きわめて自然なんですね。
もっとも、そういうタイプの作品の場合、演出に凝ろうとして、単なるアニメの劣化版になる作品もあります。
しかし本作は、1枚絵として魅せるところは魅せ、動かすところは動かし、アニメだけではない方向性からの演出を混ぜていることから、単なる劣化アニメにならずにすんだのです。
これで口パクもあれば完璧だったのかもしれませんが、他でいろいろ動いていますので、プレイしていての違和感はなかったですし、特にマイナスになることもないでしょう。
ファンタジー作品ということで、その独自の世界観を如何にプレイヤーに見せつけるかも大事になってくるところ、春~冬の4つの国もCGで綺麗に描写されており、見ただけでその世界の様子が伝わってくるようで良かったです。
商業作品ということで、Kazuki氏の同人作品よりグラフィック・演出が進化することは予想していましたが、予想以上の出来で、これには驚かされました。
総じて、演出については、後世に語り継がれるほどの内容だったと思います。
まぁ、欲をいうならば、豪華な演出だとは思うものの、センスを感じさせるような、こちらが唸るような新発見となるところがなかったのかなと。
それがあれば、グラフィック・演出だけで傑作認定できそうだったのですが、そこまでには至らなかったかなと思います。
また、本作では音声も付いており、声優さんたちの演技も良かったですね。
国シリーズの場合、システム周りが貧弱で、そこが大きなマイナスポイントになっていたのですが、本作ではその問題もクリアしており、私の一番懸念していたものもなくなりました。
<感想>
残るは肝心のストーリーですね。
ここはね、Kazuki氏の作品をプレイしているかや、何を求めるかでも印象が異なりうるのでしょう。
つまりね、そもそもファンタジーと文学は別物であり、同じ尺度では測れないということです。
世界観を描くファンタジーと、人物を掘り下げる文学とでは、対象が異なるわけで、ファンタジー小説では最も偉大な「指輪物語」が、文学的には凄くないとは、そういうことなのです。
もう少し具体的に書きますと、文学の場合、無駄をそぎ落として、必要な要素を徹底的に掘り下げることになりますので、何のためにいるのか分からないキャラや種族を描くことは評価を下げる要因になります。
しかし、ファンタジーの場合、その世界を描かなければならないわけで、世界には様々な人や文化や思想等が存在しうるので、一見すると必要性を感じないものも含め、そういったものを描く必要があります。
〇〇人は何のために存在するのだと聞かれて明確に答えられる人はいないでしょう。
そういう存在理由の分からないものも含めて、たくさん設定し描くことで、世界に厚みが増しますし、魅力も増してくるのです。
だからファンタジーと文学は、時として相反するような性質を有するのです。
本作においても、存在意義の薄い種族等も出てきますので、これを文学的観点から捉えると消化不良に見えるのでしょうし、ファンタジー的観点から捉えると、国の描写を厚くすることにつながったと見えてきますので、印象が異なりうるのです。
Kazuki氏の作品を未プレイであるとか、経験済みだけど特にファンではないという場合、本作のファンタジーとしての魅力を素直に受け入れられやすいと思います。
他方、Kazuki氏の過去作の大ファンの場合、かえって視野が狭くなり、過去作と同じような尺度で捉えてしまい、つまり文学的な観点から捉えようとして、本作のファンタジーとしての魅力を見落としてしまいかねないおそれがあります。
私は、本作の一番のアンチになりうる人がいるとするならば、それは国シリーズが大好きなKazuki氏のファンだろうなと思っていますが、これは歴史上繰り返されてきたことでもあるのでしょう。
たとえば、『EVE』や『YU-NO』が発売された時も、一番の否定派は『DESIRE』の熱狂的ファンでした。
また、『Kanon』や『AIR』が発売された時も、一番の否定派は『MOON.』の熱狂的ファンでした。
ライターの一番の魅力って、処女作とか出世作に出ていることが多いわけでして。
その一番の魅力に魅せられた人ほど、以後の作品は同じことの繰り返しに見えてしまうのでしょう。
菅野さんの一番の魅力は『DESIRE』の時に感じ取ることができますし、麻枝さんの一番の魅力も『MOON.』で感じ取ることができます。
何かしら強烈な魅力があるライターには、避けて通れない道なのかもしれません。
国シリーズと本作とでは作品としての方向性は異なるのですが、似通った部分もあるわけで、そうであるがゆえに、国シリーズの大ファンは受け付けにくいのかもなと思ったり。
『DESIRE』や『MOON.』は、発売当初から凄く注目されていたわけではなく、後の作品になるほど知名度も上がっていって売れた事情もあるので、古参ファンの意見が次第に少数派になっていきました。
ただ、国シリーズはまだ完結しておらず、本作の前の作品でもあり、後の作品でもありうるわけです。
その点が、上記との違いといえるのでしょう。
ストーリーについて、もう少し細かくみていきます。
本作は、陽子が子のみすずと、孫のツムギと一緒に神の国に赴き、神々が新たな時代へと世代交代していくために必要な儀式の手助けをすることになります。
4つの異なる世界を構築し、ラストも燃える展開もあり、個人的には全体としては読んでいて楽しかったですね。
まず最初の冒険に出るまでは、これからどうなるのだろうとワクワク感がありました。
とても良かったですし、特に三人が集結していく過程は素晴らしかったです。
春の国は、単に1つの国の物語というだけではなく、最初の導入の物語としての役割も担います。
掘り下げが少し弱いようにみえるかもしれませんが、ファンタジー作品としての独自の世界観等、いろいろ説明をする必要があったこともふまえると、ここの描写は十分だったと思います。
次が夏の国ですね。
ここでは、人のというか、神のというか、住人らの嫌な部分を見せつけられます。
高度経済成長期やバブル期の日本の嫌な部分を抉り出したような感じ。
読んでいて気分が悪くなる人もいるかもしれませんが、様々な種族が登場し、逆にファンタジーとして世界が一番厚く描けていたのも夏の国だったと思います。
だから好きか嫌いかで聞かれた場合、夏の国という存在自体やキャラは好きではないとしても、ファンタジー作品としては良くできていたということになるのでしょう。
問題は、その次の秋の国ですね。
後述するとおり、私は本作に対し、全体としては高い評価をしています。
ただ、歴代の傑作作品には及ばないと考えていますし、過去の傑作に並ぶ可能性があったとしたら、一番メスを入れる部分はここしかないのでしょう。
夏の国の物語は、不快感すら覚えるような、気分の悪い話でした。
繰り返しますが、これは作品の出来とは全く別次元の話です。
出来としては素晴らしいが、主観的には気分が悪いということです。
それに対しての秋の国は、実に爽やかで清涼剤のような存在です。
出てくるキャラも良い人ばかりで、キツネの奥さんとか、とても愛着が持てます。
ただ、秋の国は、夏の国に対する清涼剤で終わってしまったことが、一番の問題なのでしょう。
本作は、様々な要素が混ざっていますし、安易に家族を描いたとか書きそうになるのですが、結局のところ、「つなぐ」ことの大事さを描いた作品ですよね。
たねつみの儀式も、後の世代につなぐための儀式です。
また、陽子ら3人は皆女子校生の姿をしていますが、陽子が生きてつなげなければみすずはいないし、みすずがつなげなければツムギもいません。
国という大規模なのか、個人単位なのかという規模の違いはあれ、つなぐことの大切さを描いた作品だと思います。
バブル崩壊後の氷河期世代って、何も悪いことをしたわけではないのに、就職が困難だっただけでなく、様々な面で現代日本のツケを背負わされた世代とされています。
その点が問題視されている昨今において、どういう意図をもって本作を出してきたのか。
秋の国の物語は確かに綺麗な物語なのだけれど、穿った見方をすれば、綺麗ごとをぬかす政治家の話と変わらないように見えてしまいます。
ツケを背負わされた世代に対し、後にツケを残さないようにと思わせる説得力は、少なくとも本作にはなかったわけでして。
秋の国の話を、単なる清涼剤程度で終わらせるのではなく、場合によっては夏の国以上に重苦しい展開にしても構わないから、しっかりと「ツケを払わされた世代」を描くことができていたら、社会風刺も効かせた作品として、本作は化けていたでしょう。
私が本作を傑作と判断することができないのは、この秋の国の部分の弱さが大きいです。
そして最後の冬の国。
ここは最後の国としてだけでなく、物語の締めの役割も担うわけでして。
そういう意味では、きちんと纏められたということで、十分だったとは思います。
あとは、何を重視するかでしょうね。
すなわちストーリーの流れと、シーンの熱さとどっちを重視するかにより、印象もかわりうるのかなと。
終盤のシーンとか、シーン単位だと熱く感動的な場面が多いのですよ。
だから細かいことを気にせずに、個々の場面の熱さを重視すると、素晴らしい作品だったとなるでしょう。
他方で、ストーリーの流れを重視すると、終盤の流れが少し強引に感じるというか、前半の設定は何のためにあったのかと疑問を抱くこともあるでしょう。
終盤は緻密な計算のもとに描写したというより、なんか勢いでもっていった感があるので、その勢いに乗れた人は満足できるのでしょうが、上手く乗れなかった人も一定数出てくるように思いますね。
まぁ、ここも結局のところ、秋をしっかり描ききれなかったことの弊害が出ているのでしょう。
国単位のマクロな観点からの描写と、主人公らの家族のミクロな観点からの描写を上手くリンクできていたら、とても素晴らしい作品になりえたかもしれません。
しかし、秋のところでマクロな観点の部分が落ちてしまい、片輪が落ちてしまったことから、冬の国は残り片方だけとなり、強引なようなちぐはぐな印象を与えかねない結末になってしまったのだと思います。
<評価>
総合でも十分に名作といえるでしょう。
常日頃から私は、その作品の発売された時期を大事にしています。
それは良い意味でも悪い意味でも妥当します。
この時期にこの内容で出された作品を傑作扱いして良いのかということもあり、ギリギリ傑作に及ばずといった結果となりました。
また、これまでのKazuki氏の作品がストーリーやキャラでポイントを稼ぎ、他でマイナスになっていたのに対し、本作はグラフィックや演出でほとんどのポイントを稼いだということで、その意味でも方向性の全然異なる作品といえるのでしょう。
いずれにしても、この価格で、これだけの演出の作品は滅多に出てくるわけではなく、その点では現時点で最高峰の作品だと思いますし、ADV好きならプレイしてみるべき作品だと思いますね。
ランク:A(名作)

Last Updated on 2025-02-15 by katan
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