魔法使いの夜 -WITCH ON THE HOLY NIGHT-

2012

『魔法使いの夜 -WITCH ON THE HOLY NIGHT-』は2012年にWIN用として、TYPE-MOONから発売されました。

ゆうろさんの関わった背景は良かったですね。

<概要>

ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
もっとも選択肢はなく、完全な一本道でした。
過去作はアダルトゲームだったものの、今作は一般ものとなります。

あらすじ・・・1980年後半。華やかさと活力に満ちた時代の黄昏時。
都会に下りてきた少年は、現代に生きる二人の魔女とすれ違う。
少年はごく自然に暮らしてきて、彼女は凛々しく胸を張って、少女は眠るように隠れ住んで。
三者三様の星の巡り。交わるることなんてもってのほか。
何もかも違う三人の共同生活が始まるのは、あと、もうちょっと先の話

<感想>

過去作である『月姫』に関連する物語でもあるのですが、ガールズ・ミーツ・ボーイな成長ものでありバトルものでもあるわけで、全体としては良くも悪くも奈須きのこ作品といった感じ。

ライターである奈須きのこさんは元々引き出しの少ない方なので、最初にはまったときは楽しめるものの、一度底が見えるとね・・・
だからあまり期待していなかったというのもありますが、少し当初の予想よりも低かったものの、まぁこんなもんだろってことで、想定の範囲内ではあるのでしょう。
私は『月姫』の時は絶賛したものの、『Fate/stay night』で底が見えてしまいガッカリした記憶があります。
『Fate/stay night』で初めて触れた人だと、当時の私の気持ちは分らないでしょう。
しかし『Fate/stay night』で初めて触れ、それ以来の完全新作である本作をプレイすることで、当時の私の気持ちと同じように感じた人もいるのではないでしょうか。
今の方が理解してもらえるように思うのですけどね。

2点ほど付け加えますと、まず相変わらず説明がくどいです。
同じことを繰り返す必要はないし、画面で表現していることも省略して良いです。
グラフィックも加味した全体の纏まりが悪く、仮にテキストだけは及第点であるとしても、相変わらずゲームのライターとしては未熟だよなと思ってしまいます。

それと、自身の過去の作品とつながることは、昔の私なら何か壮大に感じられて好きだったのですけどね。
でも、あれもこれもつながっている~わ~い!って喜べるのは、精々自分が10代くらいまででしょう。
今は、いつまでそれにしがみ付いているんだよ、他にないのかよと思ってしまいがちなのでね。
世界観を共通させることで深みを増すケースもありますが、経験上、大概の作者の場合は単に創作する能力に欠けているだけですから。
つまり新しい世界観を構築することができない、引き出しが少ないということでしかありません。
本作の場合も後者に感じられるわけで、元々ネタのチョイスなどで引き出しの少なさを感じてしまうライターなのに、世界観まで関連付けてしまうと、ますます狭く感じてしまうのです。

<グラフィック>

信者の中には、タイプムーンの人気は、全面的に奈須きのこのおかげと考える人もいるようでして。
でもね、型月作品が好きだからと言って、全員がライター目当てとは限らないのですよ。
私はむしろグラフィック目当てであり、私からすれば絵やキャラの魅力を、テキストがいつも足を引っ張っているようなものですからね。

もっとも、ここで私の意見が絶対だというつもりはありません。
私の様な人もいれば、もちろんシナリオ目当ての人もいるでしょうし、演出目当ての人もいるでしょう。
つまり沢山売れる作品ってのは、様々なニーズに応える要素を含んでいるのであり、ヒットの要因を一つの理由で説明しきれるはずがないのです。
まぁ、こっちが絵やキャラを楽しんでいるのに、絵はクソだがシナリオが最高だのと言われるとね。
まだ作品を全く楽しめなかった人に絵も駄目と言われるなら納得できますが、信者のような人にまで言われると複雑な気分になるのですよ。

※似た事例としては、leafが挙げられます。
この場合、当初の私は水無月さんの絵に良さを見いだせなかったので、高橋さんのテキストでもっているのだと考えていました。
ゼロ年代以降にコラムを書く人は高橋さんばかりに注目しますが、ヒットし始めた90年代後半には水無月&高橋として、必ずセットで語られたものです。
何で水無月さんの名を毎回出す必要があるのか疑問でしたが、そもそも当初のリーフの躍進は同人市場からの支持が強かったです。
つまり同人作家らの支持に支えられ、人気が広がっていったと。
その同人作家らの支持を得た理由に、水無月絵のシンプルなラインと、模倣のしやすさが挙げられます。
もし水無月さんの絵がなければ、leafの躍進はなかったでしょう。
まぁ、そういうことがあるから、ライターにばかり注目して書く、主にゼロ年代以降のコラムには納得できないことが多いのですけどね。

少しずれてしまいましたが、かように私は武内崇さんの絵とキャラが好きなのですよ。
これまでに交流した人でもグラフィックの方が好きという人も多かったですし、関連作品のヒットを見るに、私みたいな人も結構いるのでしょう。
私はアニメの『カーニバル・ファンタズム』が大好きですし、一般的にもOVAとしてかなりヒットしたようですが、あれはキャラの魅力が第一なのであって、原作のライターのテキストなんて関係ないですからね。
私みたいなのが多くなかったら、『カーニバル・ファンタズム』がヒットすることもないでしょうから。

ところが、今作はキャラデザこそ武内さんであるものの、原画が別人に代わっていまして。
原画が一番の魅力なのに原画を代えてどうするよってことで、それで最初の発表時には興味が持てなかったのです。
もっとも、サンプルを見た時にはキャラの雰囲気もそれ程違っていませんし、これはこれで良いかなと思ったのですが、実際にプレイしてみると、過去作のように印象的なシーンであるとか、一枚の絵・場面に惹きつけられるようなことがなかったです。
その辺が、似てるようでも原画が異なることからくる結果なのかもしれません。
今作は一般ものでエロシーンもありませんし、総じて一枚のCGに対する満足度は過去作よりかなり低かったです。

とは言うものの、ストーリーには最初から期待できない、キャラも原画が代わったことで過去作程の満足度は得られないだろうと、事前に分っていましたからね。
ある程度は想定の範囲内でもあり、一番事前の興味を抱いたのも演出面でした。

本作は画面全体にテキストが表示され、絵の上にテキストが被るタイプです。
ノベルゲーの中でも、いわゆるビジュアルノベルと呼ばれるタイプです。
もっとも、汎用の立ち絵を用いるのではなく、組み合わせやエフェクトによってイベントCGの連続のような感じで進みます。
昔はイベントCGのみで進行したゲームなんかもありますし、今の主流の方式が全てではないですからね。
皆が同じ手法を用いる必要はないのだから、本作の様な方向性も一般論としては十分にありなのでしょう。
ただ、発想・手法が過去作の延長上であり、何か古臭いよなと。
演出が良いとされる最新の作品と比べ、センスが古臭く感じてしまうのです。

仮に立ち絵であるとかフェイスウインドウであるとか、ゲームだけに見られるような要素を洗練・強化させたのであれば、それはそれでゲーム独自とはいえ進化を感じることができます。
まだ未熟で成長の余地はあるとしても、それでも未知への一歩を進んでいるわけですしね。
しかし本作の様にアニメ映画のような演出に近付けてしまうと、未知への挑戦ではなく多くのユーザーにとって既知な分野への進出となります。
そうなると演出の優れたゲームというよりも、動きの乏しい出来損ないのアニメに見えてしまいます。
ましてや本作はゲーム性の全くない一本道ノベルですからね。
動きの乏しい作画の弱いアニメと本作と何が違うのかと、余計にもそう見えてしまうのです。

また過去作では重要なポイントでの演出でしたが、本作は常にエフェクトが入っているとも言えます。
客観的にはエフェクトの量は増えていると言えるでしょう。
しかし、ただ派手に光っていれば良いのか、エフェクトの量が多ければ演出が良いのかと言うと、決してそうは思えません。
映画と異なり、ノベルゲームはユーザーがクリックするという作業を伴います。
エフェクトを入れるということはユーザーの行動を制約することであり、プレイヤーの自由な行動とは本質的に相容れない物なのでしょう。
だからこそ、プレイヤーの利便性を損なわないようにしつつも、エフェクトによる利点も感じさせるようにする調整が大事であり、作り手のセンスが問われる部分でもあるのです。
本作のように全ての場面でエフェクトを入れれば良いという単純な話ではなく、ゲームの演出としては決して褒められたものではありません。
私には、この作品を以て演出が良いと評するのは理解できません。

結局、過去作よりも進化したというより量が増えただけのようであり、本作を通じて何か得るものがあったかと聞かれると、ノーと答えざるを得ないでしょう。
これだけ動かせるブランドも限られているでしょうから、技術力はトップクラスなのだと思いますが、使い方の進化が伴わないだけに、新鮮さを感じられなかったのが残念です。

それと、全体的に少しアップで表示されるため情景が伝わりにくいですし、圧迫感というか窮屈さを感じてしまいます。
これは・・・少し余談になりますが、『誰も知らない・・・ ~失われた記憶の扉~』を思い出しますね。
タイトルの如く今となっては知る人が少なくなった作品なので、記事内で説明しても伝わったか分らないのですが、あの作品の感覚が本作に似ているのですよ。
普段は引き気味で全体を描写しつつ、ここぞの場面でアップで印象付けるのが、基本的だと思うのですけどね。
何か、下手糞だな~って感じてしまいます。

以上のように演出面も完全に期待外れでしたが、唯一背景だけは抜群に良かったです。
これは本作が発売された年の中でも最高峰でしょう。
良いな~って見ていたら案の定、背景美術がゆうろさんでしたw
知らないでプレイしても、これは背景が良いなと思ったら、いつもゆうろさんが絡んでいるんですよね。
この点に関しては、非常に満足できました。

<評価>

上述のようにヒットする作品というのは、仮に自分に興味がなくても他の人が興味を抱くような、多くのニーズに対応している物なのです。
一応念のために言っておきますが、アダルトゲームではって話ですね。
アダルトゲームもたぶん人より長めに接してきたと思いますが、単一の理由でヒットした作品はないですから。
本作と過去作の違いは幾つかあります。
ひとつは一般ものになることでアダルト要素が無くなったこと、ひとつは完全一本道でゲーム性が皆無になったこと。
もちろん、これらに全く期待していない、だから無くなっても気にしないという人もいるでしょう。
しかし要素が削られることで、応じられるニーズが減ったことも確かです。

また本作を含め、TYPE-MOON作品には音声がありません。
このライターの文体、ひいては読ませる文章を書くライターの作品の場合、私は音声はなくても良いとは思うのですけどね。
読ませる文章と音声でしゃべらせる文章は異なってきますし、音声がないことを前提としたテキストの方が魅力の出せるライターもいるでしょう。
むしろ小説家向きのライターほど、音声なしの方が向いているでしょうし。
だから本作でも音声がない点をもって減点もしませんが、今時音声なしってだけで興味を持てない人もいるでしょうし、少なくとも声を重視する人のニーズには応えられないのでしょう。
過去作にもないので「減った」わけではありませんが、2004年の頃よりもPCゲーでの音声の存在は大きくなっていますから、時代には合っていないのも確かなのでしょう。

かように含まれる要素、応えられるニーズを減らし絞っただけに、余計にもストーリー等の作品構成要素個々の比重が強まってくるわけです。

そして本作におけるプラス材料には背景の進化が挙げられ、ゆうろファン的な視点だけで言うならば、本作はブランドの最高作と言えるでしょう。

しかし、個人的にはそれ以外の部分で全くもの足りなかったわけで、じゃあ背景だけで元が取れるかとなると、それも少し厳しいです。
そのため、総合でも凡作としておきます。

結果的に、よく動く背景を眺める作品との印象しか抱けなかったです。
もう作り手にもアダルトゲームへのこだわりもなさそうですし、型月はアニメだけ作っとけばとも思った作品でした。

ランク:D(凡作)


魔法使いの夜
DVDソフト魔法使いの夜

Last Updated on 2024-11-29 by katan

コメント

タイトルとURLをコピーしました