『彼女の願うこと。僕の思うこと。』は2001年にWIN用として、Project-μから発売されました。
ノヴェルシアターPLUSと銘打たれた、同ブランドの3作目であり、S-Cubeシステムを導入したことで更なる進化を遂げた作品でした。
<概要>
ゲームジャンルはノベル系ADVになります。
商品紹介・・・
少女たちとの関わりの中で、交錯する二人の「るか」の物語はいかなる結末を迎えるのか?
深層心理学から、異端宗教にまで及ぶ、緻密な考証に基づく世界で繰り広げられる新感覚無国籍ファンタジー!
<感想>
基本的にはファンタジーものなのですが、おまけで「よいこの心理学講座」があるように、心理学やら哲学やら絡んできますし、その上、物語自体のボリュームもあることから、一般的には非常に難解とされる類の作品です。
そのため、難解と言われたり考察必須とか言われる作品が好きな人ならば、まず楽しめると思います。
他方で、上記のような説明をしてしまうと、逆に敬遠しちゃう人も出てきてしまうと思います。
本作は確かに真面目に考えようとすると面倒かもしれないけれど、結構コメディ色も強い作品なんでね。
主人公と少女らの異世界を舞台にした冒険活劇として、その動きや会話を追っていくだけでも結構楽しめます。
堅苦しい作品ではないので、そんなに身構えなくても良いと思いますね。
もっとも、何だか分かったような分らないような、テンポも良いような悪いような、ちょっと掴みどころのない作品なので、十分楽しめるけれど、ストーリーだけでは長所とまでは言えないのかなと。
むしろ本作の最大の特徴は、演出面にあります。
そもそもブランド2作目の『忘れな草』が、ノベルシアターとして発売されまして。
これは、文字演出などに凝った作品でした。
その次の作品である本作は、ノベルシアターにS-Cubeシステムを導入し、ノベルシアターPLUSとして発売されたんですね。
S-Cubeシステムとは、ScrapSequenceScreenシステムの略で、名前だけ見ると凄そうに見えますが、ようはカットインCGを多用するシステムです。
だからその点だけを説明で取り上げてみると、大したことがないように思ってしまうかもしれません。
でも、プレイした人なら分るように、使い方が抜群に優れているので、演出面がずば抜けているのです。
もう少し具体的な方が良いのかな。
本作は基本となる背景の画像の上にテキストが表示されますが、通常のノベルゲーのような画面下部のテキスト欄というものは存在しません。
キャラの表示との噛み合わせも考えて、テキストは画面中央に表示されたり上部に表示されたり、もちろん時には下部に表示されたりと、その都度最適な位置に変わるのです。
その位置の変動するテキストに連動して、細かく顔CGのカットインが加わり、これらが画面中を動き回ります。
背景CGも時には揺れたり、時には崩れ落ちたりと、こちらも動きがあるんですね。
前作のノベルシアターは、まだ不完全な部分もありましたが、新たな要素の加わった本作により、Project-μのノベルシアターは一つの完成を迎えたのでしょう。
一つ一つの要素自体は、既に他で見かけられるものかもしれません。
まぁ背景が崩れ落ちるのは、ちょっと思いつかないかもしれませんけどね。
だからシステムがどうのって技術的なことを言いたいのではなく、むしろ本作で一番感心したのは、物語を「画面全体を使って表現」してやろうって、そうした製作陣の意気込みがハッキリと伝わってきたことなのです。
正直なところ、発売当時の私は、本作をそれ程良いものとも考えていませんでした。
ストーリーを重視しがちだったことも災いしていますけどね。
でも最近になって、ふと思ったのです。
今の作品はワイド画面になって画面の表示範囲も広がったけれど、その広い画面を有効に使っているゲームって、一体どれだけあるでしょうか。
酷い作品なんて、画面下部のテキスト欄だけで物事が進行していますし、もっと酷いなと思ったのは、画面中央に縦書きでテキストを表示し、左右にキャラを表示させることもなく、真ん中のテキスト欄内だけで進行しているものもありましたね。
立ち絵が豊富と言われる作品にしても、画面下部のテキスト欄に立ち絵の顔表示部分と手足の表示部分が加わっただけの、画面全体では本当に一部だけしか有効に活用していません。
ゲームだからゲーム性を入れろとか、今更固いことは言いません。
絵と音が物語を盛り上げることにより、その相乗効果で完成する作品も、ノベルゲームと表現して構わないと私は思います。
でも、だったら絵や音を物語にきちんと連動させるべきと思うわけでして。
フィギュアスケートとかでも、リンクの一部でこぢんまりと演技するよりも、リンク全体を使って演技する人の方が見栄えがしますし、凄いと言えます。
ノベルゲーも画面を見てプレイするわけですから、その画面全体を存分に使い切った作品の方が、画面全体から主張を訴えかけてくる作品の方が私は好感が持てます。
そして画面を十分に使い切っていない作品が増えたことから、この想いは年々強まっています。
また、表現方法としては、例えばリトルウィッチのFFDシステムもあります。
大槍葦人さんの原画のインパクトもありますし、何よりリトルウィッチが今でも活動しているブランドのため語られやすく、それで作品としても今ではあちらの方が有名な気もしますけどね。
でも、FFDシステムのような漫画的手法は、PC88やPC98の頃から忘れた頃にどこかしらが挑んでいたし、そもそも斬新な手法ではなく、あくまで漫画的手法の延長でしかないですからね。
映画でもない、漫画でもない、ゲームとしての演出方法を模索し、ブランドなりの手法として新しく作り上げた本作の方が、個人的には凄いと思います。
<評価>
総合でも名作といえるでしょう。
画面全体を使ってユーザーを楽しませようという意思、それらの演出面などに関しては、PC98時代に比べ、90年代後半からゼロ年代前半のWIN初期の方が格段に落ちています。
私はそれが非常に不満だったのだけれど、シナリオガーとか、萌えがーとかそんな人ばっかり増えていったので、作る方も力を入れなくなっちゃったんですよね。
近年になって、またカットインとかは増えてきているので、最近の作品を好きな人は、10年くらい前の作品に味気無さを感じるかと思いますけど。
本作は最近の作品以上に存分に画面を使い動かしているのだけれど、そこに注目する人が当時は少なかったんですよね。
いや、結構話題になったようにも思ったのだけれど、結局は一部で熱狂的に盛り上がっただけなんだろうな~
だから熱狂的なファンもいたけれど、ブランドとしては長続きしなかったわけで。
ここは、個人的には文句も言いたくなるよなと。
だって、私のような長くプレイしている人に対し新規で入ってきた人は、懐古だのオッサンは新しい感性が理解できないのだのって馬鹿にするでしょ。
実際、新しい試みを理解できないのであれば、言われても仕方ないでしょう。
でもね、本作の様な新しい試みを私なんかは良いと思うし、たぶん古くからのユーザーも好意的に見てたと思うんですよね。
逆に新規に入ってきて、ADVに対しガチガチの固定観念のある人の方が、特にノベルゲー以外のADVを知らないような人なんかが、本作の様な作品に難色を示すわけで。
そんな若い新規客ばかり増えていったから、
次第に作品の方も画面下部にテキスト欄が固定され、立ち絵を表示しつつ、イベント時に一枚絵が表示されるという同じ手法の作品ばかりになると。
私なんかは、そうした表現方法の画一化は多様性を損ない、演出面での進化を妨げた有害なものにしか見えないのだけれど、当時の新規参入組に言わせると、昔は試行錯誤で各社がバラバラだった、それがゼロ年代に入り洗練され統一されていったとかって表現になるんですよね。
一体、どっちが保守的で固いんだよと思ってしまいます。
まぁ、あの時期だけが少し特殊だったのかもしれませんけどね。
シナリオ良ければエロゲにエロいらねえとかって層も多かったくらいだし。
エロゲーに「エロ」も「ゲー(ム性)」も要らない、
演出面の多様性も要らないって、それって一体何なんだって思ってしまいます。
今はまたカットインとか立ち絵の動きとか増えていっているし、それは私は良い傾向なのだと思うけれど、たぶんゼロ年代前半に始めて、あの頃の作品を賛美する人には、テキストを読むことの邪魔になる無駄なことにしか見えないのでしょうね。
消えても一向に構わないブランドも一杯あるけれど、そして私はこのブランドの熱狂的ファンでもないのだけれど、それでもここの作品が、特に代表作と呼べるのが本作なのでしょうが、こういう作品がそのまま埋もれてしまうのは、業界にとっても非常に勿体ないよなと思うわけでして。
本作のような作品こそ、DL版なり何なりで、常に楽しめるようであって欲しいと思いますね。
ランク:A-(名作)
Last Updated on 2025-03-24 by katan
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