鬼頭島女子刑務所

1994

『鬼頭島女子刑務所』は1994年にPC98用として、リュージョンから発売されました。

ザッピング要素を取り入れた群像劇スタイルのノベルゲーということで、もしかしたら歴史をかえていたかもしれない作品ですね。

<システム>

仮に、150キロの球を投げてバンバン三振を取るピッチャーがいたとします。
最初は150キロの球を投げられるから凄いのだと思いがちなのだけど、
全部が150キロの球だとプロのバッターは結構打てるものです。
三振が取れるのはただ早いだけでなく、そこにプラス何かが加わっているから。
俗に緩急のあるピッチングと呼ばれるものがあるけれど、極端に遅い球を混ぜられると140キロ程度でも打てなくなったりします。
人は目立つ部分に目が行きがちなのだけれど、何で目立つのか印象に残るのかは、意外と分かっていないのかもしれません。

さて、『鬼頭島女子刑務所』という作品があります。
主人公は5人いまして、どのキャラの視点で物語をみるのかを選択し、キャラを切り替えることでゲームは進行していきます。

つまり、マルチサイトシステム+ザッピングシステムなんですね。
ここは何度も説明しているので、常連さんはもう耳タコな人もいるでしょうが、初見の人を念頭に再度説明します。
マルチサイトは、複数のキャラの視点から1つの物語を見るものであり、『DESIRE』で使われたことで認知度が飛躍的に高まりました。
ザッピングは、視点などをころころ切り替えるものであり、本来はゲーム用語ではありません。
簡単に言えば、TVのチャンネルを切り替えるのも、ザッピングと言えます。
これらは、ゲームにおいては一緒に使われることも多いことから、後に混同されてしまい、複数のキャラの視点から物語を見るというマルチサイトの内容に対し、ザッピングと表現されることが、ゼロ年代辺りに増えました。
しかし、マルチサイトを伴わないザッピングゲームであるとか、ザッピングを伴わないマルチサイトゲームもあるので、両者は必ずしも一緒になって使われるものではないのです。

『DESIRE』は、マルチサイトの代表例として名が挙がりやすいのですが、2人の主人公を任意で切り替えることもできますので、ザッピングゲームと言うことも可能なのでしょう。
もっとも、ほとんど切り替えずに進めることも可能ですし、切り替えることがゲームノ肝として作られたわけではなく、あくまでも複数の視点で物語を見ることに主目的がありましたので、マルチサイトの作品として語られやすいわけですね。

他方で『EVE』は、もう少し能動的に切り替えることを必要とします。
だからマルチサイトにザッピングが混ざった形式となるのですが、本当はここに、マルチフラグシステム的要素も加わります。
もっとも、ここでは関係ないので、詳細は省略します。
ということで世間一般にはマルチサイト+ザッピングの複合形式としては、1995年11月発売の『EVE バーストエラー』が有名になっています。

そこで本題の『鬼頭島女子刑務所』なのですが、本作は5人のキャラの視点で物語が進行し、その途中で視点を切り替えることになります。
任意で切り替えることはできないのですが、数分単位の非常に短い間隔で視点変更の有無を問われますので、否応なしにこれはザッピングを楽しむ作品なのだと認識させられます。
つまり、マルチサイト+ザッピングなんですね。
『EVE』が95年11月末なのに対し、『鬼頭島女子刑務所』は94年の11月頭です。
実に1年も早く発売されているわけですね。
だからマルチサイト+ザッピングの構造を、アダルトゲームで最初に導入したのがEVEだと言うと、間違いになってしまうのです。

しかしながら『EVE』が有名になったのに対し、『鬼頭島女子刑務所』はかなりマイナーですよね。
そこで違いをわけたものは何だったのか?
もちろんシナリオやグラフィックやサウンドが違うのだよと言われると、それはそれで否定はできません。
『EVE』には長所が一杯ありますから、総合的に素晴らしかったとして有名になりえたのでしょう。
でも、それだけじゃつまらないですよね。
システム的にどうなのかも、もう少し掘り下げてみたいものです。

ここで基礎となるシステムを見てみますと、『EVE』は伝統的なコマンド選択式のADVです。
他方で『鬼頭島女子刑務所』はキャラを選んだ後は読み進めるだけであり、つまりはノベルなんですね。
3行スタイルの、紙芝居と言われる類の作品です。
当時はコマンド選択式を好む人も多かったですが、今は嫌われる傾向がありますからね。
今の人だと『鬼頭島女子刑務所』の方がストレスなく進行できるかもしれません。
ここまでだと、『鬼頭島女子刑務所』の方が洗練されてそうに感じませんか?

でも、必ずしもそうでもないわけでして。
普通に読み進めることができる、その途中で視点がころころ変わる。
そうなると時系列も分かりにくくなるおそれもありますし、下手したら今誰のどういう展開なのかも分かりにくいケースもあります。
また、そもそもキャラを切り替える必要があるのかと、疑問に思えてしまいます。
小説だと視点が替わることはよくあることですから、マルチサイトをさせることに必然性がないのです。
だからマルチサイト+ザッピングが魅力ではなく、むしろ足枷にすらなってしまうこともありえるのです。

『EVE』は伝統的なコマンド選択式でした。
たまにプレイヤーに語りかけるようなメタ的な構造でもあり、主人公≒プレイヤーであることをあえて意識付けました。
プレイヤーはその時点での主人公なのだから、同時期の異なる視点で物語を追うことはできません。
だからこそ、同時期の異なる視点を楽しむためには、マルチサイトが必要になると。
遅い球があるから速い球が生きてくるように、コマンド選択式で主人公≒プレイヤーを意識付けているからこそ、マルチサイトが生きてくるのです。

ここにマルチフラグ的な、一方のシナリオが他方に影響を及ぼす点も加味すれば、それはノベルでも十分に楽しめるのですけどね。
純粋にマルチサイトやザッピングというのは、ノベルゲーでは必要性や恩恵が少ないのですよ。
マルチサイトについては、小説なら群像劇として描けば良いだけであり、コマンド選択式だからこそ成り立ちうるのがマルチサイトなのです。
コマンド選択で縛りがあるからこそ、マルチサイトに意味があるのです。
それを知ることができたということで、これを実際にプレイしたのはかなり後だったのですが、『鬼頭島女子刑務所』をプレイすることを通して、『EVE』の特徴が更に理解できたように感じられたものです。

小説っぽい構造なら群像劇で済むわけですし、視点変更にご大層にマルチサイトなどと名付ける必要もなく、ザッピングさせる必要もないと、まぁこの時点で分かっていたわけですね。
ただ、世間は『EVE』という成功例にばかり着目して、本作のようなケースをきちんと参考にしないですからね。
案の定、ゼロ年代前半には過去のヒット作の要素をノベルに取込めということで、マルチサイト系のノベルが増えました。
中にはザッピングさせるものもありましたね。
でも、いまいちその構造ゆえに評価された作品は出てこなかったように思います。
そして個人的に感じた不満点も、どれも『鬼頭島女子刑務所』の時点で感じたものと一緒なんですよね。
製作者がこの作品を知っていれば、或いはもう少し改善が見られたのかもしれません。
過去の成功例だけでなく、失敗例から学べることも一杯あるのです。

<感想>

ということで、いろいろ書いてきたのですが、この説明だけだと本作のファンの方に怒られちゃいますね。
どうも要らない所で敵を作ってしまいがちなものですから。

本作は、四方を海で囲まれた女囚刑務所を舞台とします。
そこでは自殺や行方不明が続出することから、警察は一人の調査官を鬼頭島刑務所に送り込むってのが、あらすじになります。

刑務所内では陵辱が日常茶飯事になっていますので、とにかくHシーンが多いのです。
シナリオという観点からはほとんど楽しめないのですが、エロゲの基本はエロだろって人であれば、Hシーン満載な本作は楽しめる確率が高まるのでしょう。

<評価>

総合ではハッキリ言って面白いとも思わなかったのですが、構造的に比較するのに役立ち元を取れたと判断し佳作としておきます。

最後に余談ですが、結局こちらがどういう視点を持つかなんですよね。
私のように本作をプレイすることで、『EVE』のシステム的特徴の理解を増すっていうのもありでしょう。
逆に、いやいやこっちが先なのだから、あくまでもこっちを評価すべきだって意見もありなのでしょう。
もっとも本作の場合、ノベルゲーですから、結局はマルチサイトという点が抜け落ち、ザッピング要素を取り入れた群像劇スタイルのノベルゲーとなるのでしょう。

ただね、昔のユーザーはこういう視点を持ってプレイをしていた。
例えば『同級生』はキャラごとに個別ENDを導入しました。
でも、個別END自体は『KISS』の方が先なのです。
だから『KISS』を評価するのだというのが一つの考え方。
でも、他のシステム等の絡みから『同級生』の方を評価するとしても、その説明に説得力があるのならありなのでしょう。
結論はどっちもありなのだと思います。
大事なのは、そういう観点から過去の作品を比較したり、語られることが普通にありえたということなのでしょう。
だからいつの時代も、ここまでの歴史を振り返るような記事はあるのだけれど、昔の場合はシステムや構造、少なくとも作品単位で扱っていました。
従来の作品はこうだったのに、この作品はここが違うのだと。
しかしWIN95以降の世代の人が過去の作品を振り返る場合、シナリオ的側面とオタク文化の絡みしか興味を示しません。
ゼロ年代の作品を振り返るには、オタク文化との関連性も大事なのでしょう。
しかしオタクと言えどもPCを持っていなかった人の方が圧倒的に多い時代に対し、それをオタク文化の視点から捉えることが果たして正しいのかという、根本的な疑問は大いにあります。
もし仮にその手法もありだとしても、オタク文化の考察だけでは絶対に全てを振り返ることはできないし、こういう作品には決して辿りつけません。
『KISS』と『同級生』の比較のような視点、その作品の構造から他作品との違いを見出す視点、当時のユーザーなら普通に出てくるはずですけどね。
そしてそれはオタク文化とは結びつかないものも多いのであり、オタク文化的視点でしか物事を見れない研究者は、どうもその点で偏りが生じてしまうのです。
それが市販の歴史を扱う書籍に対する不満でもあり、欠点なんですよね。
80年代や90年代は総当りっぽいコマンド選択式ばかりという認識は、そう思っている時点で誤りなのです。
本作のように失敗しているケースも多々ありますが、いろいろ試しているブランドは多いんですよね。
成功だけでなく失敗も含めて試行錯誤の軌跡を辿ることが、歴史を振り返る上で大事なのではないでしょうか。

ランク:C(佳作)


鬼頭島女子刑務所

Last Updated on 2024-10-07 by katan

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