『待雪の花 ~Snow drop~』は2013年にWIN用として、nostalabelから発売されました。
原画の緒方剛志さんがもう一度仕事をしたい人を集めて作られた、シナリオ重視の鬱ゲーになります。
<概要>
商品紹介によるあらすじは以下の通り。
聖澤和志は妹の美結と二人だけで狭いアパートに引っ越してきた。
母親が死に、他に頼るものもなかったのだ。
薬を必要とする病弱な妹を抱え、和志は学校を辞めて働く決意をする。
待っていたのは薄暗い四畳半での極貧生活。環境は想像以上に劣悪だった。
それでも兄として、せめて妹だけでも幸せにしなければ――
だがひとつ部屋での生活が続くうち、それまで押し隠してきたはずの妹への背徳的な欲望が抑えきれなくなっていくのだった。
<ストーリー>
死期の近い病弱な妹といかに過ごすのか、そしてそんな妹との禁断の愛、近親相姦を扱った作品でした。
皆がハッピーに終わる奇跡なんて存在しないということで、ユーザーにとってのご都合主義は存在しません。
予想される悲しい結末までを描いた、一般的には鬱ゲーに分類される作品なのでしょう。
メインライターの八雲意宇さんは過去にも実績のある方ですし、設定や主人公の行動を前提として受け入れることができたならば、テキスト自体は読みやすくシナリオ重視作品として楽しめるように思います。
主人公の全てを理解した上で押しかけ女房的になる瞳さんとか、サブヒロインには良い味をだしている人もいます。
妹の美結の前での結婚式とか、良いシーンもありましたし。
だから設定や行動に疑問を抱かずプレイできれば、おそらく楽しめたのでしょうけどね。
ただ私の場合は、その設定や主人公の言動が受け入れられなかったわけでして。
鬱や後味の悪さ、悲しい結末だからといって、当然ですがそれが即リアリティにつながるわけではありません。
本作の待ち構えている結末は、大半が馬鹿な主人公に由来するものなんですよね。
確かに奇跡を用いないという意味でユーザーにとってのご都合主義ではないものの、他方で浅はかな主人公を起因とする鬱展開というのは、ライターにとってのご都合主義ではあると思うのですよ。
だからこういう構造の話とか、不幸が降って湧いたような類の鬱ゲーは、私は昔から好きになれないのです。
<ゲームデザイン>
ゲームジャンルはノベル系のADVになります。
ストーリーは実質的にメインとなる物語が1本であり、主人公は途中でサブヒロインらとも関係を持ちます。
途中でサブヒロインのルートを選べばサブヒロインとのEDになり、選ばなければメインルートが続行しますので、いわゆる途中下車方式となるのでしょうか。
一般論としては、私はこういう形式は好きなのです。
オールクリア必須とか言って不要なルートを読むことを強いられず、まずメインを読みたいって人でも最初からメインルートを読めますしね。
攻略という点でも重複を最小限にすることができますので、既読スキップで何時間もボケっとしていることもありませんし。
だから基本的にはこういう構造のゲームは増えて欲しいのですが、本作に関しては再考の余地はあるのかなと。
途中までサブヒロインとの関係が織り込まれてしまうので、メインヒロインとの純愛をテーマにした本作のような作品の場合には、個人的にはあまり適していない構造に思ってしまいます。
<グラフィック>
原画が緒方剛志さんですので、当然原画ファンの絵買いというのはあるでしょう。
もっとも、いわゆる萌え絵とは異なりますので、この段階で萌えを求める人を切り捨ててしまっており、そういう意味でもシナリオ重視な人向けになっているのでしょうね。
塗りも含めて、シナリオに合った雰囲気を醸しだしているという点では、本作は良かったように思います。
ただ、雰囲気は良かったものの、原画のデッサンそのものが少し崩れているところもあり、その点は少し残念でした。
グラフィックという面では他にも注目すべき点があります。
1つはHシーンでグラフィックを拡大縮小できることです。
私にはいまいち使い勝手が分からない機能なのですが、便利に感じる人もいるのでしょうか。
もう1つは、ウィンドウの大きさが可変であることです。
固定サイズの中から選ぶのではなく、アスペクト比を保ったまま大きくも小さくも自由に変更できます。
せっかくウィンドウ表示にしても、最近は大画面になったりワイド化しているため、あまりウィンドウ表示を活かせなくなってきています。
まぁ、集中してゲームやれよとか、解像度上げろよって言われれば、それまでなんですけどね。
でも自分の好きな解像度で、しかも好きな大きさでゲームがプレイできる本作の機能は、個人的には嬉しかったですね。
<評価>
ギャグゲーは泣きゲーより作るのが難しいという見解があります。
泣きのツボは皆結構近いのだけれど、笑いのツボは千差万別ですので、その見解にも非常に納得できる部分はあります。
しかし泣きゲーや鬱ゲーは展開の幅や種類が少ないからこそ、その最後の展開に至るまでの過程が大事なのであり、同じような展開であってもそこまでの説明次第で説得力がまるで変わってきます。
私は昔から降って湧いたような不幸や主人公のヘタレに起因する欝展開は、作者のわざとらしさが見えてしまうので好きになれません。
それは避けられない鬱展開ではなく、作者によりわざと作られた展開でしかないですから。
だから鬱ゲー自体はわりと好きなのですが、ゼロ年代前半の泣きゲー・鬱ゲーブーム時の作品は、一部の例外を除いてほとんど楽しめなかったんですよね。
中にはシナリオ重視の名作などと呼ばれる作品もありますが、そんな作品でも私が酷評するケースも多々ありますし。
本作は好きなキャラやイベントもあったということでギリギリ佳作としますが、私の基本姿勢からは不満の方が出やすい相性の悪い作品ではあるのでしょう。
ただね、私はこういう作品は好きではないし、自分にとっての鬱ゲーの名作と比べると物足りないのだけれど、世間で名作と言われることのある過去の鬱ゲーには、こういう類の作品は幾つもあるわけでして。
本作がそれらの作品より劣るとも思いませんし、したがって、こういう類の作品が好きなら楽しめる人もそれなりにいるように思います。
本作の原画とライターの活躍時期から、どうしても90年代末を思い出してしまうのですが、当時のシナリオ重視と言われやすい作品には結構音声のないゲームが多かったです。
その頃には抜きゲーとかは音声が標準化していましたが、シナリオで読ませる作品ほど音声がなかったのです。
シナリオ重視ゲーはテキスト量が多いから音声がなくても仕方ないのだと、当時はそんな認識だったでしょうか。
しかし仕方ないとは言え、音声のある抜きゲーに比べれば、劣っている部分が存在することも事実です。
その頃のシナリオ重視作のような明確に劣った部分は本作にはないだけに、その点を評価することもできるのでしょう。
結論が私と反対になり、絶賛する人もいるかもしれません。
褒める人がいようと貶す人がいようと結論はどっちでも構わないのですが、シナリオ重視作品に期待する人がまだそれなりに存在するのだとすれば、もう少し本作に対する反響があっても良いように思うのですけどね。
そもそもゼロ年代前半のシナリオ重視の名作と言われやすい作品なんて、実際には売れていない物が多いんですよね。
単にネット上で声の大きい人が騒ぎ、後の人がそれが当時の総意みたいにみたいに解釈することで、何となく名作っぽく語られることが増えていっただけで。
もし本当に当時から内容が評価されたのなら、そのライターの次の作品はヒットしても良さそうですなものです。
しかし実際にはライター名で売上の増えたケースなんてほとんどないですから、やっぱり一部の声が大きいだけにすぎないと思ってしまうのです。
まぁ別に名作に限らなくても良いのです。
賛否分かれたのだとしても、プレイヤーがシナリオを重視するというのであれば、そしてそういう人が多いのであれば、本作はもっと注目されたはずなんですけどね。
シナリオ重視の作品が減ったと嘆く人がいますが、減ったのは果たしてシナリオ重視の作品なのでしょうか?
むしろ減ったのはシナリオを重視するユーザーではないでしょうか?
いや、減ったという表現も怪しいわけで、そもそも本当にシナリオを第一に重視するって人はどれだけ存在するのでしょうか。
根本的にシナリオ重視の時代なんてなかったとも私は考えたりもしていますが、当時の人気の鬱ゲーなんかにしても萌えキャラありきであり、シナリオ重視なんて言っても、まず萌えキャラありきなんですよね。
萌えキャラがなければ、そもそも見向きもされない。
萌えキャラ抜きのシナリオ重視作品が注目される時代なんてのは、90年代後半の葉鍵の登場により滅び去ったのではないかと、こういう作品の注目度の低さを見るたびに、そう思ってしまうのですよ。
ランク:C-(佳作)
Last Updated on 2024-11-03 by katan
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