『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』は1996年にPC98用として、エルフから発売されました。
『DESIRE』や『EVEバーストエラー』で名を馳せた剣乃ゆきひろ氏が、elfに移籍して作った傑作ADVになります。
<はじめに>
1996年12月にエルフからPC-98用として発売された、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』。
私の人生で最良の一本です。
それは98末期という時代+エルフの最盛期+剣乃さんの最盛期、全てが重なったからこそなしえた一つの奇跡だったのかもしれません。
ゲームの評価というのは、発売時の基準でなされるべきものです。
だってそうでしょう。
『FF7』のグラフィックだって、今では汚くみえるかもしれないけれど、だからといって発売時に受けた、あの衝撃まで否定されるのはおかしいですから。
1996年というのは、まさに変動の真っ只中でした。
SFCと次世代機が混在し、PC98とWIN95が混在する。
完全に時代の変わった97年だったら、評価は少し変わっていたかもしれません。
96年というPC98の末期にまさに集大成として存在した、そこに意味があるのです。
他のゲーム以上に、『YU-NO』には魅力が一杯詰まっています。
そのため、今回はいつものような省略した紹介ではなく、各項目ごとに細かく、たまにはレビューっぽく書いてみたいと思います。
<概要>
当時、東の横綱と呼ばれ、圧倒的な最大手ブランドだったのがエルフでした。
他方でシーズウェアから発売された『DESIRE』(1994)や、『EVE バーストエラー』(1995)が高い支持を得ており、クリエイターとしての剣乃ゆきひろ氏にも、高い注目が集まっていました。
その剣乃ゆきひろ氏が、最大手のエルフに電撃移籍しまして。
このニュースには、非常に驚かされましたね。
コンソールで例えるなら、スクウェアに移籍した松野氏のような感じでしょうか。
個人的には、それ以上の衝撃でした。
当初は、剣乃さんと蛭田さんが交互に作品を出すという発表がありました。
それで私も、非常に期待していたのですが、その構想は周知のように実現しませんでした。
結局、剣乃さんのエルフでの作品は、『YU-NO』一本だけとなります。
ストーリーは学園を主な舞台にしつつも、次第に世界の構造・真理へと迫る本格的なSFものであり、ゲームジャンルはポイント&クリック(P&C)式ADVとなります。
<グラフィック>
オリジナルであるPC98版の『YU-NO』は、16色で描かれています。
PC98は標準では16色しか出せないので、塗りの幅がかなり限定されてました。
その限られた中でいかに綺麗な画面にするのか。
そこが腕の見せ所だったわけです。
PC98時代、別格の存在であったエルフは、この塗りに関しても別格でした。
そのエルフが、PC98で最後に出したのが『YU-NO』。
それはすなわち、PC98最高のグラフィックともなるわけです。
(ここはまぁ『スタープラチナ』とかもありますけどね。
あちらはちょっと塗りが特殊なので、別部門で双方凄いって感じです。)
エルフはサターンで256色以上の作品を出してるけど、256色ならば後に『こみっくパーティ』とか、もっと優れた作品があります。
でも、16色で『YU-NO』以上の作品は存在しないのではないでしょうか。
こういうと、16色より256色の方が綺麗に決まってるから、最高の16色なんて意味ないじゃんって思う人もいるかもしれません。
しかし、PC98時代とWIN時代とでは、絵の描き方も塗り方も変わってきます。
だから私は、そういう人にはこう言います。
じゃあ、水墨画はカラーで書かれた絵よりも下なのか?、とね。
白黒の漫画がカラーの漫画より劣ると決まったわけでもありません。
水墨画に水墨画の味わいがあるのと同じように、16色には16色の味わいがあるわけです。
実際、エルフ作品に多く登場する廃墟じみた建物の場合、256色以上よりも元の16色版の方が雰囲気が良かったりします。
WIN用だと下手に綺麗過ぎて、ハリボテみたいに感じたりするんですよ。
(これは、エルフの塗りに問題があるのかもしれませんけどね。)
16色最高の画質ということで、私は高く評価しています。
ただ、いぶし銀より一見派手な金に目が行ってしまうのは、仕方ないというか人としてある意味普通なのでしょう。
『YU-NO』が96年末に出たから素直に凄いと思えたけど、これが97年以降だったら・・・
私も次世代機のポリゴンの派手さに目を奪われ、もう少し低く評価してたのかもしれませんね。。。
そして、グラフィック面では、何よりOPが素晴らしかったです。
自分がゲームのOPで鳥肌が立ち、本当に衝撃を受けたのは、他にはPC88の『MISTY BLUE』とPSの『ゼノギアス』くらいかも。
決して「OP=ゲームの出来」ではないけれど、電源を入れた、まさにその瞬間からゲームの世界に引き込まれていくっていうのも、名作たる理由の一つとしては十分だと思います。
ちなみに、残念ながら、サターン版のOPはかなり改悪されてしまいました。
本作については、サターン版ではなく98版に拘り続ける古参も結構います。
その大きな要因の一つとして、このOPの存在が挙げられるのでしょう。
私もサターン版のOPには、非常にガッカリさせられたものです。
<サウンド>
クラシックの名曲をカスタネットで叩いても、必ずしも良いとは限りませんよね。
下手なオーケストラよりも、尺八一本が人の心をとらえる場合もありますし。
その楽器によってマッチした音楽があるように、使う音源によっても良いメロディーは変わってきます。
そしてそれぞれの音源には、それを極めたとも言える人がいると思うのです。
PC88時代であれば、ファルコムの古代祐三さんがいます。
PC98のFM音源の使い手としての島田(梅本)竜さんもまた、そんな存在でした。
代表作には『DESIRE』『EVE』『YU-NO』などがあります。
90年代後半のkey作品の人気は、麻枝さんのテキストだけでなく、折戸さんによるサウンドの功績も決して無視はできないでしょう。
感動するストーリーであるほど、良いサウンドの存在が不可欠なのであり、PC98時代の剣乃作品が人気を博した理由として、梅本竜さんの作るサウンドの存在を抜きには語れないでしょう。
WIN時代になってからは、また音源が変わってしまいましたからね。
PC98で使われたFM音源で最高なのはって話題になると、どうしても末期に発売された『YU-NO』の話題が出てくるわけでして。
そんな所にも『YU-NO』の意義がある気がしますね。
ところで、最近の人は声が入ってないゲームに否定的な人もいます。
その観点からいうと、サターン版には音声が入っています。
ただ、サターン版には音声こそ入っているものの、調整の問題もあって、サウンドが小さくて聞こえにくいです。
私は本作のサウンドが非常に印象に残ったのだけれど、もし初プレイがサターン版だったら、全く印象に残らなかったでしょう。
それだけ、プレイヤーに与える印象が異なります。
また、『YU-NO』には缶詰版もあり、そちらはWINDOWS用になっています。
しかし缶詰版は、どうも音のインパクトがないのですよ。
缶詰版はモノラル音源だと説明されている方もいました。
私は詳しくないので、よく分らないのですけどね。
でも逆に、音に詳しくない私のような素人でも気付けるほど、オリジナル版とは異なるのであり、あれはベタ移植とは言えないのでしょう。
さて、ここからはあくまでも私の「こだわり」になります。
サターン版では声が大きすぎて、サウンドがあまり聞こえません。
エルフだけあって声優の質も高いけれど、声優さんは他の作品でだった頑張っていますからね。
それは他のゲームより群を抜いて優れているって程ではないと思うのです。
少なくとも私は、サターン版での声優さんの演技から、『レガシーオブタイム』での、山寺宏一さんの演技程の衝撃は受けていませんし。
「高」水準な音声と、「最高」水準の音楽。
どっちか選べと言われれば、私は後者を選びます。
「最高」水準のサウンドの前には、「高」水準な音声など邪魔でしかなく不要だと考えます。
普段keyの『Kanon』と『AIR』は声なしでプレイして欲しいって言うのも、そういう理由からです。
「高」水準な音声と、「高」水準な音楽では前者を選ぶので、『CLANNAD』は声付きをすすめるんですけどね。
繰り返しになりますが、今は廃れたFM音源の最高傑作。
『YU-NO』の魅力は、そんな所にもあるのだと、私は考えるのです。
<ゲームデザイン>
『YU-NO』のゲームシステムは、1人称視点のポイント&クリック(P&C)式ADVに、いわゆるA.D.M.S(アダムス)が搭載されたものです。
昔はともかく、最近はあまり分けて語られてないけれど、これは本来別個に語るべきなのでしょうね。
・P&C式ADVとして
P&C式ADVとは、マウスで画面のあちこちをクリックして、そのクリックに対して返ってくる反応を楽しみながらフラグを立て、時には獲得したアイテムを使用しながら進めるADVになります。
本場である海外のP&C式ADVでは、主人公の姿が映るタイプ(3rd person perspective)が主流です。
もっとも『YU-NO』では、主人公の姿が映らないタイプ(1st person perspective)を採用しています。
特にそれがどうこうってわけじゃないけれど、国産タイプ特有の傾向でもあり世界的には珍しいタイプなのかもしれません。
このP&C式ADVの魅力としては、あちこちマウスでクリックしてその反応を楽しめる点が挙げられます。
ここをクリックしたらどうなるんだろう?っていうのは、ある意味無駄を楽しむ事でもありますからね。
ストーリーの先を次に次にって求めるノベルとは、楽しみ方の思想・方向性自体が根本的に異なります。
この辺を理解せずにノベルの感覚でプレイすると、『YU-NO』の魅力は半減するのではないでしょうか。
いろいろクリックすることで知ることの出来る情報もありますし、最小限の動きだけでは本作の魅力は堪能できませんから。
TRPGのマスターとの会話のように、相手(コンピューター)との言葉のやり取りを楽しむ。
それこそが本来のADVであり、最初のコマンド入力式ADVから脈々と続くADVの基本理念なんでしょう。
そして同時に、それはノベルとの決定的な構造の違いともなるわけです。
さて、一言にP&C式ADVといっても良し悪しは当然あります。
P&C式ADVのゲーム性については、評価のポイントは概ね4つあると言われております。
これは独自基準ではなく、他所でよく使われている基準になりますが、下記のとおりです。
(1)反応するポイント(Hot Spot)の多さ。
(2)反応するポイント(Hot Spot)のわかりやすさ。
(3)反応するポイント(Hot Spot)をクリックした際の反応の多彩さ。
(4)反応するポイント(Hot Spot)でやれる事の多さ。
(1)について
一画面に一箇所しかクリック出来る所がなかったら、プレイしていてもつまらないでしょう。
Hot Spotが多ければ、それだけやれることが多いわけですから、より一層楽しめるのです。
言い換えればプレイヤーの裁量の幅、自由度が高いともなるでしょう。
その点『YU-NO』は、一画面内でクリックできる個所も多く優れていました。
一般論になりますが、理論上コマンド入力式はHot Spotが無限となりえます。
それが逆に足かせとなり(2)以降に響いてきます。
反対に、コマンド選択式ではHot Spotが少なすぎて物足りなかったりします。
ノベル系はTIPで補ってるのもあるけれど、基本的に論外ですしね。
MYST系にしても、この部分はP&C式よりも格段に少ないです。
そういうわけで優れたP&C式は、ADVとしてもバランス的に理想的なのだと思います。
(2)について
ここが、案外評判の分かれ道になったりします。
わかりやすさっていっても幾つかありますね。
Hot Spotの大きさ、カーソルが変化する、周りから識別されやすい等・・・
どこをクリックできるのかサッパリわからないと、ストレスがたまるだけです。
また、例えクリックすべき場所が判っても、ピクセル単位でピンポイントにクリックしなければならないのは苦痛です。
こういう所で難易度を上げてゲーム自体の難易度が上がっても、それでゲーム性が高いとは言えないでしょう。
なお、ピンポイントでのクリックを要する作品については、海外でもPixel Huntingと呼ばれ、評判を下げる要因となっています。
海外のゲームでも、国内の98時代末期の幾つかのゲームでも、Hot Spotの判りにくいゲームが案外多かったりします。
『YU-NO』の場合、カーソルも変化するしHot Spotも大きかったので、かなり判りやすかったです。
その意味では決して難易度が高い作品ではないのですが、上記のように、ここで難易度を上げても意味はないので、これは逆にプラスに評価すべきなのでしょう。
ただ、格ゲーがゲーセンのでやるのが一番適しているように、ジャンルによって一番楽しめるデバイスは異なります。
特にADVはデバイスとの関連性が大きく、デバイスの発展と共に基本システムも変わってきたジャンルとも言えるでしょう。
例えば、コマンド入力式ADVにはキーボードが必須であるように、P&C式はPC上でマウスを用いてプレイすることに一番適してます。
家庭用ゲーム機のコントローラーは、画面クリックにあまり向いてません。
十字キーで動かしながらのクリックとなり、操作の手間が倍かかりますからね。
私がこれまで見てきた経験からすると、「YU-NO楽しいよ名作だったね、でもそんな最高とか絶賛するほどじゃないよ」って言う人に限って、サターン版をコントローラーでやっていました。
コントローラーじゃクリックしにくいから、無意識の内にストレスがたまるし、次第とクリアに最小限度のクリックになってるからだと自分は考えます。
それはADVを楽しむことと、ベクトルを逆にしてしまいます。
そういう人は知らないうちにゲームの面白い部分を逃しているのです。
また、サターン版は難易度も下げられていますので、プレイヤーが考える必要性が少し薄まっていますしね。
そういう部分なども総合的に判断すると、サターン版は一見すると同じシステムの様であっても、ゲーム性が格段に落ちると言わざるを得ないのではないでしょうか。
(3)について
クリックしても、同じセリフばっかり繰り返されたり、「何もない」じゃつまらないですよね。
ゲームってのは、アクション(プレイヤーの行動)とリアクション(アクションに対するゲーム側の反応)の繰り返しだと思っています。
シューティングだと、敵を撃つと点数で返ってくる。
ADVだって点数が言葉や動きになっただけで、本質は変わりません。
その言葉や動きの質・量が優れてるほど、ゲーム性が高いと言えるのでしょう。
もっとも、100点はだれにとっても100点なのとは違い、言葉は人によって感じ方が違います。
故に、その返ってきた言葉が面白いと感じられるか(=質の高さ)は、どうしてもプレイヤーの主観に依拠せざるをえません。
しかしその場合でも、少なくとも反応の多さという「量」に関しては、ある程度は客観的に計ることができます。
『YU-NO』は、これは剣乃作品全般にも言えるのですが、一貫して反応の多さが特徴になっており、ファンの支持する理由の一つになっています。
したがって、本作におけるクリックした時の反応の数の多さは、高く評価されて然るべきなのでしょう。
少しそれますが、(3)に関しては、コマンド選択式ADV等にも該当します。
クリックした際の返答の多さというのは、コマンドを選択した際の返答の多彩さに置き換えられますからね。
そして上記のように、シーズウェア時代(『DESIRE』、『EVEバーストエラー』)から、この分野に関しては剣乃さんは定評がありました。
だから(3)に関しては、『YU-NO』でも問題なく高水準のものが作れたのでしょう。
ただ、剣乃さんの場合、『EVEバーストエラー』まではコマンド選択式だったことから、P&C式ADV自体は、『YU-NO』が初めての試みでした。
一般的にP&C式はコマンド選択式に比べ、(1)や(2)において、よりゲーム性の高い面白いものが作れます。
もっとも、それはあくまでも理論上の話であって、実際に作れるかはまた別の話です。
いくら剣乃さんでも初のP&C式で、(1)や(2)で優れた物が作れるとは限りません。
ここに、P&C式ADVを作ってきたエルフのノウハウが生きてくるわけです。
エルフは既に『ELLE』や『DE・JA2』、『同級生』シリーズを作ってきていましたからね。
こうして、(3)以外の他の要素も問題なくクリアできたのでしょう。
これは当時から言われていたことですが、一見考古学でもオチはSFってことで、『YU-NO』は『DE・JA3』又は『DE・JA外伝』として作られていたと。
その真偽は知りません。
とりあえず『YU-NO』と『DE・JA』は話的には全くつながりはありませんしね。
しかし、『DE・JA2』などで培ってきたものが、『YU-NO』の制作に活きたと言うことはできるのではないでしょうか。
『DE・JA2』の直接的な続編でも外伝でもないけれど、『DE・JA2』の精神は少なからず受け継がれてると感じるのですよ。
海外では長く主流であるP&C式ADV。
それを国内で作れる所は少なく、その中でも群を抜いていたのがエルフ。
そのエルフが最後に作ったP&C式ADVが、『YU-NO』ですからね。
『YU-NO』=国産最高のP&C式ADVと言っても過言でないでしょう。
この手のADVは、その後、国内ではほぼ絶滅しました。
故に、現時点でもP&C式ADVとしては国産最高なのではないでしょうか。
あくまで私見ですが、上記の理由からエルフを出た剣乃さんには、『YU-NO』以上のP&C式ADVを作ることは無理だと思います。
才能が枯渇したとかではなく、そもそもP&C式ADVを作る上での絶対的な経験が足りないのです。
P&C式ADVが好きな自分は、剣乃さんがエルフを辞めた時点で、『YU-NO』以上の作品を求める意味のなさを悟った気がします。
(4)について
ここは全てのADVを見てみても、主にMYST系ADVの独壇場です。
P&C式ADVでは、使えるアイテムの数を増やす、またアイテムを合成して使わせることでバリエーションを増やす、大抵はそんなくらいでしょうか。
『YU-NO』も、この点は比較的アッサリだったかな。
もちろん、単純な画面クリックオンリーでなく、取得したアイテムを使用させることにより、他の同系統のアダルトゲームの多くよりはやれることが多いです。
しかし、アイテムの数は多かったけれど、合成とかはほとんどなかったので、一般ゲーのP&C式と比べて優れているとまでは言えないのでしょう。
もっとも、後述するとおり、『YU-NO』にはADMSもあることを考えれば、これで調度良かったのではないでしょうか。
これ以上複雑にしても、難易度だけが上昇し、快適なストーリー進行が阻害され、ストーリーを忘れたりといった弊害が出てきます。
MYST系はストーリーが単純だからこそ、ここで勝負ができるのです。
以上、長くなりましたが少しはP&C式ADVの判断基準、及びその中での『YU-NO』の素晴らしさが伝わったでしょうか。
なお、本作は終盤でコマンド選択式になります。
P&C好きとしては、確かにこの部分は残念でしたが、そのことが決してマイナスになるとは思いません。
そんなことをしたら98時代のほぼ全てのADV、及び今日のほぼ全てのADVがマイナス評価になりますからね。
『YU-NO』は終盤選択式になるからとマイナス評価しつつ、別の選択式ゲームは絶賛するというのでは理屈が通らないでしょう。
・A.D.M.S(アダムス)について
優れたゲームというのは、何かしら強烈な特徴があると思います。
そして『YU-NO』の場合、A.D.M.S(アダムス)を抜きには語れないでしょう。
A.D.M.Sとは「Auto Diverge Mapping System」の略であり、「オート分岐マッピング・システム」と訳されます。
これは、主人公の辿ったルートがマップで表示され、宝玉というアイテムを使うことで時間も空間も超越し、物語の核となる並列世界を自由自在に巡ることが出来るというものです。
簡単に言えば、分岐ルートのマップ表示と、それにザッピング要素を組み合わせたものと考えれば間違いないでしょう。
元々はRPGとかでオートマッピングされるゲームがありますよね。
ああいう道を切り開き突き進んでいくのを、剣乃さんはADV的に表現したかったみたいです。
従来からあったシステムを更に充実させた上で、斬新なプラスアルファも加える。
自由度が少ないといわれるADVにおいて、プレイヤーの行動の幅を広げる事に成功したA.D.M.Sは、それだけでも凄いことだと思います。
ただね、本当にそれだけなら、多少の便利機能扱いはあっても、何もここまで絶賛されるものでもないでしょう。
最近はA.D.M.Sという部分だけが一人歩きしているようで、個人的には少し疑問を持ってしまいますし。
『YU-NO』では、A.D.M.Sを導入しただけに止まりませんでした。
だからこそ、今日でもこのシステムが絶賛されるわけです。
そもそも、物語とゲームシステムって密接に関係すると思いませんか?
RPGが中世ヨーロッパ風なのが多い理由を考えると解りやすいでしょうか。
物語とシステムが一致してないと違和感があって楽しめませんよね。
例えば現代の軍隊を舞台にしながら、軍のトップが少人数で出歩いて街中でモンスターに襲われるとか、どう考えても変でしょう?
汎用メニューを用いたコマンド選択式ADVにしても、例えば「見る」「聞く「話す」とかは、堀井雄二さんが推理ゲームを作る上で、頻繁に使いそうなコマンドを纏めたものなので、推理ゲーには適していても、恋愛ゲーとかだと合わないというか、むしろ邪魔ですよね。
ミニゲームも暇つぶしには良いけど、ストーリーと関係なさ過ぎると邪魔でしかなかったりします。
物語とゲームシステムがマッチしているというのは、プレイヤーを違和感なくゲームに熱中させるために、とても重要な要素なのだと思います。
『YU-NO』は、この部分が実に素晴らしかったわけでして。
A.D.M.Sは単なる便利システムではなく、並列世界という物語の構造上必要不可欠なものであり、A.D.M.Sなくして物語は成立しなかったのです。
このシステムなしには、この物語は表現しきれないのであり、この物語がなければ、このシステムは必要とまでは言えなかったのでしょう。
これが世間で言われる、システムと物語の融合って事なのです。
最近のノベルゲームに見受けられるシステムの使い回し。
体力のない同人でも優れた物語を見せることができますからね、
決してそれ自体を否定するわけではないですが・・・
物語に一番マッチしたシステム、システムに一番マッチした物語を作ることが出来る。
それこそがゲームデザイナーの腕の見せ所であり、『YU-NO』のA.D.M.Sとストーリーの融合こそが、鬼才・剣乃ゆきひろさんの真骨頂だったのではないでしょうか。
だからこそ逆に、A.D.M.Sだけを語るのには抵抗が生まれうるのです。
ちなみに、剣乃さんは『YU-NO』の制作にあたり、システムが先に出来たと言っています。
システムにあわせてあの壮大な物語を構築していったと・・・
ADVでこういった事ができる人が、今現在どのくらいいるのでしょうかね。
<感想>
PC98時代というか、蛭田さんの影響をうけているのでしょうか、剣乃さんの作る主人公も、結構親父臭いところがありました。
その親父臭さが最近の人にはあまりうけないかもしれませんが、私は凄く好きでしたね。
アマンダと神奈の関係のように、ちょっとした所に伏線も多く、それもまた剣乃さんの特徴の一つだったと思われます。
自分は、こういう剣乃さんのような伏線の張り方がすきなんですよね。
剣乃作品は、何気ない台詞に実は深い意味があったりすることがあります。
1回目のプレイでストーリーの衝撃を味わい、2回目のプレイでセリフに込められた意味を深く堪能する。
そういう楽しみ方ができるのではないでしょうか。
『YU-NO』における唯一の弱点・・・と言えるのかは定かでないですが、というか際立った長所が多い中で、唯一他の部分ほどのインパクトがないのがキャラかもしれませんね。
もちろん、魅力的なキャラは一杯います。
ただ、例えば『EVEバーストエラー』の小次郎やまりな程のインパクトはないのかなと。
また、今風の萌えと明らかに方向性が違うんですよね。
ここら辺が最近の人にはどうなのかなとも思ったり。
そもそもヒロインの設定的からして、処女厨には相容れないでしょうし。
どうにも今は萌えキャラがいないと、それだけでストーリーに対する正当な評価もされなかったりしますしね。
そういう萌えとかの一面では弱いことも確かでしょうし、私自身もキャラのインパクトが弱いって言いましたが、それは萌えの視点からの説明にすぎません。
亜由美さんのような、魅力的な大人の女性もいましたし、存在自体にも意義があったと思います。
例えば、今では一ジャンルとして認識されているNTR(寝取られ)。
2ch上で最初にスレができたのは、本作の亜由美さんや、『DESIRE』のマコトに衝撃を受けた人たちの存在が発端となってますからね。
元祖というと誤解を招いてしまいますから、きっかけとかバイブルみたいな存在だったと言えば良いでしょうか。
『YU-NO』がなければNTRゲーも存在しないってことは決してないけれど、
それでも『YU-NO』がなければNTRゲーの世間での認知や発展は、
大幅に遅れていたのではないでしょうか。
あとは、凄く強烈だったのはクンクンのイベントでしたね。
大きな意味でのストーリーとは別に、個々のイベントにもインパクトの大きい物が多かったです。
しかも、いろんな要素を含んでましたし。
私はストーリージャンルについては雑食で、何でもOKな方なので平気でしたが、好き嫌いの多い人は要注意かもしれませんね。
何せ本作は、NTR、売春、カニバ、近親相姦・・・と、結構何でもありですから。
<ストーリー>
さて、多くの人が一番気になっているであろう本作のストーリーについて、みていきましょう。
本作は、基本的には消えた父親を求め、時空を飛び回るSF系の作品になります。
細かいジャンルでは平行世界を扱った、パラレルワールド系になるのでしょう。
また、時空を飛び回りつつも世界の成り立ちから説明しており、ワイドスクリーン・バロックとも言えるでしょうね。
余談ですが、ワイドスクリーン・バロックに関しては、人気アニメでも該当しそうなものがあるし、潜在的に好きそうな人も多そうなのですが、SF系のゲームが出るたびに、広義のSFってだけで同じ基準で語ろうとする人が多いので、ノベルゲーマーには根本的にSFに興味のある人は少ないのでしょうし、少なくとも細かい分類に詳しい人は、あまりいないのでしょうね。
『YU-NO』のストーリーに関しては各地で絶賛され、今更何かを語るまでもない気もしますけどね。
また、書きだしたら、ここだけで異常に長くなりそうですし。
熱く語っている人も多いので、そういうサイトにまかせます。
また、私が言いたいことのほとんどは、小説家の酒見賢一さん(『後宮小説』で第1回日本ファンタジーノベル大賞受賞、その他各種文学賞受賞)が『聖母の部隊』という小説のあとがきで書かれておられます。
私がいろいろ語るより、プロの読みやすく上手く纏めた文章を読んだ方が良いかなとも思ったり。
もし機会があれば、そのあとがきを読んでもらいたいなと思います。
ちなみに、『後宮小説』も名作なので、オススメです。
とはいうものの、それだけでは、あまりに手抜き過ぎますね。
簡単に纏めると、以下のようなことが書かれております。
・「SFではパラレルワールドの概念はかなり当たり前なのだけど、パラレルワールドの面白さを堂々と書き切れたかとなると、成功したSFはあまりないのが実状である。
なぜなら小説という形式では、同時に交錯する次元・時間空間の流れの多様性を表現するのは難しいからである。
文章にするのは困難で、しかも面白くそれをせねばならないとなると、このあたりは小説の限界なのかも知れない。
『YU-NO』はこの問題に堂々と挑戦し、しかもかなり成功している。
パソコンゲームの可能性をまざまざと見せられたものである。」
※これは、小説だけでなく、アニメやノベルゲーにも当てはまるでしょうね。
能動的に動けるADVだからこそ成功したのでしょうから。
・「そしてSFが平行宇宙を扱う場合、突き詰めるべきと思われる根本的問題がある。
それは「世界の始まりと終わり」「時空の始源」という問題で、『YU-NO』はこれまた見事に突き詰めている。
「アダムス」が平行宇宙とは何かをゲーム中に、具体的に存分に描き出した上でのことであるから必然的説得力がある。
最近のSFでこのような根本的問題に大上段から切り込んだものなどない。
けっこうみみっちいものが多いからである。
もうSFの真骨頂のようなテーマに敢えて真正面から取り組んだSF的哲学的な志の高さには脱帽するしかあるまい。」
他にもADMSに関してとかにも触れておられましたね。
うん、やっぱり1度は直接読んでもらいたいかも。
個人的に、もう一つ付け加えて言うならば、SFって結局のところは嘘なんですよね。
現実ではありえないわけで、厳密に言えばどこかしら破綻しているのです。
破綻と言うと、ちょっとニュアンスが悪いかもしれないけれど、どれも何かしらの仮定のもとに成り立っています。
それ故に、現実主義の人には、ジャンル自体嫌われたりもするわけですし。
でもSFが好きな人って、突き詰めれば嘘なんだって分かりつつも、仮定の上に仮定が積み重ねられた嘘というか「ハッタリ」を楽しむわけです。
そして剣乃さんのストーリーの最大の魅力って、そういう壮大で豪快なハッタリにもあると思うのですよ。
『YU-NO』はその壮大で豪快なハッタリが最大限に活かされた、会心の一作だったと言えるのではないでしょうか。
その後、WIN時代になって、「剣乃ゆきひろ」から、「菅野ひろゆき」に名義を変更し、菅野さんは、何故かミステリーにこだわっているようです。
でもね、私にはどうにも畑違いというか、得意でない分野で勝負しようとしてるとしか思えないんですよね。
ワイドスクリーン・バロックの特徴としてよく挙げられるのは、次の文です。
「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。
機知に富み、深遠であると同時に軽薄」
緻密に論理を積み上げていくミステリーよりも、ワイドスクリーン・バロックの方が、剣乃(菅野)さんらしさが発揮できたと思うのは、私だけでしょうか。
変則的な形になってしまいましたが、結局ストーリーに対して私の言いたいことは一つなのかもしれません。
すなわち、「小説でも映画でも表現が難しい物語もある。
それをゲームという形で成し遂げてくれた。」
それこそが、『YU-NO』という作品の最大の魅力なのかもしれませんね。
また、同時に、私が小説や映画に限界を感じて、ゲームに求めていったものでもあるのでしょう。
<評価>
総じて、ほぼすべての面で突き抜けた魅力をもった、文句なしの名作といえるでしょう。
私が知る作品の中でも、現時点で最高傑作と考える作品です。
ただ、最後に少しだけ補足しておきたいと思います。
良い作品なので、できれば多くの人に遊んでもらいたいとは思います。
でも、最高傑作だという一言だけで手を出すのはやめるべきでしょう。
最近のゲームのように1要素に特化した作品ではなく、例えば『YU-NO』のストーリーには様々な要素が含まれています。
SFやらNTRやらカニバリズムやら近親相姦やら・・・
好き嫌いの多い人にはついていけないでしょう。
ちなみに、私の友人なんて、ストーリーの重さに3日間、食事が喉を通らない状況だったそうです。
またそれは、システム面にも言えます。
特に小説・映画的観点でしか物語を捉えることの出来ない人や、そういう観点を唯一無二のものとしてゲームの判断にまで持ち込む人には、『YU-NO』をはじめとしたP&C式ADVの良さは、きっと伝わらないでしょうからね。
私がFPSというジャンルを楽しめないのと同じで、誰にだって得手不得手はあるのですから、ノベルゲーとP&C式ADVが異なる物である以上、合わない人は手を出さないのが賢明なのです。
そして、できればオリジナルをプレイしてもらいたいです。
かなり難しい状況かもしれないですけれど、ここまで読んでくれた方なら、きっと解ってくれるとは思うんですけどね。
グラフィック・サウンド・ゲーム性のどれもが、サターン版は98版に遠く及びません。
ストーリーにしたって一部のイベントが削られており、こちらの受ける重みは全然違ってますし。
256色の方が16色より上に決まってるとか、音声ありのほうがなしよりも上に決まってるとか、ゲームを上っ面でしか判断できないのであれば、サターン版でも構いませんけどね。
※なお、缶詰版は・・・いろんな意味で論外です。。。
大体そんなところでしょうか。
もっと書けることもあるけれど、長くなったのでやめておきましょう。
冒頭の繰り返しにもなりますが、私が98末期という時代+エルフの最盛期+剣乃さんの最盛期、全てが重なったからこそなしえた一つの奇跡と言った意味が、何となくでも伝わったでしょうか。
私にとって『YU-NO』は最高の作品ですが、その評価は、上のどれが欠けていても成り立たなかったでしょう。
私が発売時期にこだわるのも、こうした点に起因するのかもしれません。
リアルタイムでこの作品に出会えたことこそが、最高の幸せだったのかもしれませんね。
ランク:SS-(傑作)
Last Updated on 2024-11-20 by katan
コメント
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YU-NOは語るべき事が多い作品ですね。最も好きなゲームのひとつです。
俺はサターンの方を先にプレイしましたが、とりあえずファーストプレイ時はただただ夢中で、クリアしてしばらくしてからじわ~っと感じるものがあって、今でもあの世界について想いをめぐらすと、なんとも感慨深いような、妙な気持ちになります。
ストーリーの練りこみ度合いだけでもすさまじいですが、それがシステムと有機的な融合を果たしているというのがもうまさしく神がかりとしか言いようがありませんね。自分でいろいろ試行錯誤しながら「プレイ」する事によって、ストーリーの魅力が最大限に発揮されますね。
あと、高いパズル性にも感心しました。宝珠セーブをうまく使うと効率よく進めることが出来たり、重要なアイテムを手に入れて、それを必要とする場面に戻る時の昂揚感など、ゲームとしての面白さも抜群でした。
もうこういうゲームには二度と出会うことはないでしょうねえ、残念ながら。
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>>マスター栄者さん
ストーリー面の考察等を全部カットしても、結構長くなっちゃいました。
>もうこういうゲームには二度と出会うことはないでしょうねえ、残念ながら。
まったくもって、そうでしょうね。
ADV、RPG、SLGはもうジャンルとしてのピークは過ぎ去ったでしょうし。
寂しい限りです。
仕方ないので、部分的でも楽しめるのであれば、
もうそれでも良いのかなって思ったり。
ADMS類似のシステムなら、『蒼色輪廻』『ロストカラーズ』
『ガーディアンエンジェル』ってな感じで。
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web拍手でもメッセージとしてお送りしたんですが
下にコメント欄があることを失念していました…。
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YU-NOのレビュー、とても分かりやすく、そして面白かったです。
レビューでもおっしゃっていたんですが
剣乃さんの一番の魅力は個人的にはあのハッタリ感なのかなと。
晩年に取り組んでいたミステリーはそれが全面に押し出される分野でしたけど
やっぱり餅は餅屋というか別の魅せ方のほうが剣乃さんには向いていたんでしょうね。
そしてADMSシステムは本当に神が与えてくれたおぼし召しだった、
といっても過言ではないくらい画期的でした。
実際はフラグ立てを意識的にやらせているということな訳で
どちらかというとコロンブスの卵的な発想なのかもしれませんが…。
ゲームでしか出来ないことをゲームにするという当たり前のようでいて
一番難しいことをやってのけた偉大な作品だったと思います。
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コメントありがとうございます。
悪戯や業者を避ける目的も兼ねているのですが、分かりにくくて手間をとらせてしまったみたいで、すみませんでした。
> やっぱり餅は餅屋というか別の魅せ方のほうが剣乃さんには向いていたんでしょうね。
EVEbにしてもミステリー部分で評価されたとも思えないのですが、何であんなにミステリーにこだわったのかと思ってしまいます。
もう少し得意分野で作品を作って欲しかったですね。
> ADMSシステム
ルートをチャートとして表示させる、好きなとこから始めるというのは、他に先にやったゲームもあるんですけどね。
CGモードがあれば便利だろう、回想モードがあったら便利だろう、チャートがあったら便利だろうって感じで、普通の人なら精々便利なシステムを用意するところで終わってしまうのでしょう。
剣乃さんが凄いのは単なるユーザーの便宜のためのシステムに留まらず、システムからストーリーを構築できるところであり、ストーリーとシステムが一体となって融合しているところなのでしょうね。
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復刻版が出ますが、缶詰版のようです。
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>いちみさん
情報ありがとうございます。
缶詰版だと全然嬉しくないですね。