トップにゲームのはなしが載ってないと、何のサイトか分からなくなりそうなので。
夏になると「夏影」を聞きたくなるので、初期のkeyの作品について、ふと思ったことを書いてみます。
あまり深く考えていないので、的外れなところもあるかもですが、ご容赦ください。
keyの制作陣が集まって作った事実上の1作目は、『MOON.』(1997年)になります。
『MOON.』は、売り上げが期待できる「鬼畜系」を土台として、人間の深層心理を扱う「サイコ」をテーマにしたとのこと。
エロ重視の作品は、あまり雑誌とかでは売上上位として発表したくなかったような話も聞きますが、実際のところ、エロはやはり強く、昔から売上は良い傾向があったようでして。
『悪夢』(1996年)とか、目茶苦茶売れていましたからね~
96年って、恋愛ゲーブームで恋愛ゲーが一気に増え、ジャンルの割合では恋愛モノが一番多くなった年のため、あまり語られることもないかもしれませんが、『悪夢』のように陵辱・鬼畜系のエロだけが目的のような作品が増え、それが売れた年でもあるわけで、これもまた、歴史の1面なのでしょう。
今だと、そもそも鬼畜系は規制の関係で発売できないという問題もあるでしょうが、規制前のゼロ年代以降にしても、ヌキゲーが売上上位にくることはあっても、鬼畜系が上位にくるイメージはあまりありません。
だから売る観点からは、近年の場合、鬼畜系を作ろうという発想になりにくいかなとも思いますが、PC98末期~WIN初期にかけては、鬼畜系を土台にした作品を出すことは、経営戦略上、十分ありだったと思います。
key系列の初期の作品は、その土台にしたものだけでなく、何かプラスアルファしてくる傾向がありました。
『MOON.』の場合は、鬼畜系をベースにしつつ、そこにプラスアルファとして、キャラの心象風景であるとか、深層心理の掘り下げとかを加えてきたわけですね。
制作陣としては、人気路線を組み合わせてきたと思ったのかもしれませんし、アニメのエヴァとかに深く傾倒していると、心理描写の掘り下げが人気のように見えたかもですが、一部の熱狂的なオタクはともかくとして、大半のオタクたちは、そこまで興味がなかったのではと思います。
だからか、『MOON.』は、一部のファンの間では、麻枝作品の最高傑作と考える方もおりますし、実際、一番尖っているようにもみえるのですが、ライトユーザーの需要を満たせず、大ヒットには至らなかったと。
そして、次が『ONE』(1998年)です。
94~95年頃に純粋なヌキゲーが登場し、その後にバカ売れしていくことから、97年発売の作品でエロ重視を土台にすることは理にかなっていると思います。
しかし、96年や97年のアダルトゲーム市場を見ていると、恋愛ゲーの勢いが止まるどころかますます増えていく一方なわけですから、経営戦略的に考えると、次は恋愛ゲーを土台にしようぜというのは、ごく普通の考えだと思います。
問題は、恋愛を土台にしつつ、そこに何を加えていくかなのでしょう。
96年末頃の時点で、既に恋愛ゲーのシチュは出尽くした、ここから先は何か加えていかないとという話は出始めていまいしたしね。
そもそも、恋愛ゲーといっても、これはあくまでストーリー上のジャンルであり、ゲーム上のジャンルではありません。
当時は、家庭用ゲーム機であれば、恋愛SLGが流行っていた頃です。
PCでは、複雑なSLGは既に下火にはなっていましたが、SLGもどきのパラメータのあるADVであるとか、コマンド選択式であるとか、ノベルゲーであるとか、まだいろいろなシステムの作品が存在していた過渡期といえました。
その後の流行、ユーザーの求めているものという観点からは、今から振り返れば、ノベルゲーを選択するのが正解だと誰でも思い浮かぶでしょうが、それは現在を知る者の結果論にすぎません。
当時だと、まだ何が正解なのか、断言できなかったと思います。
これが2000年以降であれば、ノベルゲーを作れば良いと言い切れるでしょうが、90年代後半は、少なくともノベルゲーにしておけば大丈夫とまでは言い切れなったでしょう。
『ONE』は、恋愛ゲー、しかもノベルゲーを土台としたことで、まず時代の需要に沿うことに成功したと言えるのでしょう。
しかし、まだ問題は残ります。
恋愛のノベルゲーを作ると言っても、今のようにテンプレと言える構造がまだなかった時代ですからね。
これが恋愛SLGや簡易SLG的なADVであれば、主人公のパラメーターを上げる作業が、序盤の中心となります。
しかし、ノベルゲーにはそれがありません。
PC98時代までの学園を舞台にしたADVとかだと、当時のミステリーブームもあってか、学園内で事件が発生し、その事件の解決を目的にするというケースが多かったのですが、そうした98時代のテンプレ構造は、WIN時代の恋愛ゲーにおいては廃れていきました。
じゃあ、序盤はどうするのか。
当時に戻って、自分が作る側だったと想像したら、考えちゃいますよね。
『ONE』は、口コミでヒットしていった作品でした。
今のようにネットで情報を得るという時代ではなかったですし、小さなパソゲショップで店員と常連客が今面白いの何があるって話をしていた光景もよく目にしたものです。
私も、実は最初に『ONE』を意識したのは、そうした会話からでした。
なんか『ONE』っていう、凄く笑える作品があるらしいと。
『ONE』が最初に注目されだしたきっかけは、ギャグの存在、笑える作品ということだったと記憶しています。
つまり、keyは、問題の序盤に、ギャグパートを持ってきたわけですね。
これは、半分正解なのでしょう。
ゼロ年代以降の恋愛エロゲの序盤って、ほとんどが学園での共通パートであり、ヒロインや友人とのやり取り、笑えるようなギャグパートを用意するのがテンプレのようになっています。
序盤はギャグでつなぐというのは、今では当たり前のようになっていますので、それをふまえると、『ONE』の選択は正解といえるのでしょう。
では、半分は正解でないというのは、どういうことなのか。
『ONE』を見てみると、主人公が主にボケを担当しており、ヒロインがツッコミ役に回ることが多いです。
これだと、ヒロインのキャラ作りに限界が生じてきやすいように思います。
それに加えて、『ONE』でのヒロインのストーリー上の扱いを見ていると、そもそも、あまり萌えを意識していないように感じてしまいます。
時代は、大半を占める標準的なエロゲユーザーは、萌えゲー、萌えキャラを求めていたのに、簡単にいうと、その萌えに対応しきれていなかったと。
『ONE』が隠れた名作的なポジションのまま、セールス面でブレイクしきれなかったのは、その辺の理由が大きいと思います。
まぁ、細かいことを言い出せば、98年ってPC98最後の作品が発売された年でもあり、まだ98時代のユーザーが残っていて、『ONE』のようなお子様っぽく見えるキャラデザは、まだ一般受けするだけの土壌が出来上がっていなかったのもあるでしょうけどね。
このように、『ONE』は恋愛ゲームの序盤に笑える共通パートを持ってくることを土台として選びました。
もっとも、ただ笑えるゲームで終わらせず、そこにプラスアルファを加えてくるのが、key系列の作品です。
そして『ONE』の場合、ここに「永遠の世界」なるものをぶち込んできたのです。
この「永遠の世界」という存在に対しては、おそらく世代によって大きく印象がかわってくるのではないでしょうか。
ゼロ年代後半以降の、現実路線の恋愛ゲーが好きな人だと、永遠の世界ってなんだよ、きちんと説明しろよ、意味わかんねぇよ、って否定的になる人、結構多いのではないかと思われます。
ただ、この考察が必須な要素が、90年代後半のオタクには刺さったわけでして。
なんで皆、そこまで考察が好きなんだと思うくらい、考察ばかりという印象でしたし。
『ONE』は、「永遠の世界」という、一義的にはっきりとすぐには分からないような考察要素を入れることで、濃い一部のユーザーの心を、ガッチリと掴むことに成功したのです。
(もちろん、入れれば成功できるという単純な話ではなく、ライター陣の力量が伴っていたからだというのは、あえて言うまでもないと思いますが、念のため補足として加えておきます。)
90年代後半の濃いエロゲユーザーの心を掴むことができたからこそ、その後のkey作品の成功につながったと言えるのでしょう。
『ONE』という作品は、その構造から、97年までには生まれることはできなかったと思います。
逆に、これが99年の発売だったら、ちょっと遅すぎるのでしょう。
それだと、ユーザーの潜在的な需要とかけ離れてしまいますので。
この作品は、98年の発売以外にありえないわけで、最大限に評価されうる、まさにベストのタイミングで生まれた作品だったと思うのです。
(そういう観点からは、『MOON.』の発売は遅すぎた、時機を逸していたと考えます。)
さて、実はここまでは前置きのようなもので、本題はここからだったのですが、予想外にボリュームが増えたので、いったんここまでとしておきます。
Last Updated on 2024-08-17 by katan
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