アダルトゲームの歴史 1985年

エロゲの歴史

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第3弾ということで、今回は1985年を扱う。
前回に半分ほど書いたので、今回はその続きになる。

1985年、それは84年までの流れの集大成の年であり、他方で、後に続く新しい流れの生まれた年でもあった。

<1985年 タイトル数>

1985年に発売されたアダルトゲームは15本前後で、1983年以降の中では、おそらく最も新規発売タイトル数が少ない年だったと思う。

しかしながら、発売されたタイトル数だけが全てではない。
数こそ少ないものの、名作・大作・後に大きな影響を及ぼした作品が存在した、少数精鋭の年だったといえよう。

<高速描画>

前回も書いたのだけれど、ゲームジャンルとして一番多いのは、コマンド入力式のADVになる。そのコマンド入力式ADVの代表格としては、まずは『アステカ』が挙げられる。
ちなみに、『アステカ』は、80年代のPCゲーム市場及び90年代のPCゲー市場では絶対的な存在だった日本ファルコムの制作になる。

『アステカ』は、基本となるゲームジャンルはコマンド入力式ADVなのだけれど、随所に細かい進化を見せた作品だった。
例えば、複数のコマンド入力に対応しており、大量にコマンドを打ち込めば、現在で言うオートモードに近い感覚でプレイすることができた。
また、これまでの自分の軌跡を辿ることもでき、こちらは現在で言うバックログに近い機能を有していた。
アイテムを多用する作品でもあり、ゲーム性を重視するADVの代表格とも言えるだろう。

この作品には、ゲームデザイン以外に、グラフィックにも特徴があった。
日本ファルコムは、『デーモンズリング』において画面の瞬間表示に成功していたところ、それが本作では更に高速になったのである。
一応知らない人向けに補足しておくと、それまでのPCゲーのグラフィックというのは、今のように事前に用意したCGを読み込むのではなく、その都度、画面上で描いていたのである。
1984年には瞬間表示できるADVもいくつか出てきたけれど、すべての作品が瞬間表示可能になるはずもなく、アダルトゲームなんて、86年頃でもその都度描くゲームもあったくらいである。
したがって、少なくとも本作の段階では、まだ特徴と呼べるほどに珍しくはあったといえよう。

<移動式ADV>

異なるゲームデザインという点では、『ファイナルロリータ』も外せない。
PSKのロリータシリーズの最終作としても有名な本作。
ロリータシリーズ自体は野球拳から始まり、その後にコマンド入力式になるなど、作品ごとにゲームジャンルが変化している。
この『ファイナルロリータ』では移動式のADVとなっており、キャラを直接移動させるアダルトゲームとして捉えるならば、光栄の『団地妻の誘惑』や『オランダ妻~』の流れを汲む作品とも言えるかもしれない。
しかしながら光栄の2作品と異なり、こちらはRPG・SLG色が薄れることで、中間的なゲームジャンルから、より移動式のADVへと近付いたといえよう。
むしろ雰囲気的には、後の『同級生』に通じるものがあると言えるかもしれない。

ちなみに、1985年というのは、海外ではシエラ・オンライン社が『キングスクエスト』を発売した年である。
『キングスクエスト』は、画面上に表示させたキャラをプレイヤーが直接移動させ、そのキャラが画面上に表示されているということから、パッと見のRPGとの違いが分かりにくかったりする。
この形式は国内では少数派なものの、海外では多数派となり、非常にポピュラーな形式である。
『キングスクエスト』から続く海外のADVにおいては、表示させたキャラに細かな動きをさせ、その動きを楽しむという機能がある。
団地妻やファイナルロリータには、このような機能はないので、同列に扱うことはできないのだろうけれど、少なくとも移動させる町や範囲を表示させることで、キャラの住む世界を直に感じさせる機能は有しており、コマンド入力式や選択式には見られない独自の特徴といえるし、85年のADVの特徴ともいえよう。

<画面クリック>

ゲームとしては、他にも『マカダム』がある。
『マカダム』は、まず最初に使うアイコンを選んで、その後に女性の体をクリックする。
後の画面クリック型ないしポイント&クリック式ADVにつながる作品とも言えよう。

もっとも、『マカダム』に限って言うならば、クリックした時の反応やテキストを楽しむゲームではなく、制限時間内で如何にゲージを上昇させられるかが目的となるので、プレイ感覚的にはADVではなく、むしろアクションゲームに近いものだったと思う。

<好感度、親が来た>

細かいシステムでは、『イエローレモン』で好感度が画面上に表示されるようになった。
『下級生』(1996)が出た頃に、『下級生』は選択肢による分岐ではなくHの回数でルートが変わるからSLGだという意見を聞いたことがあるが、それは後のノベルゲー的思考でしかない。
確かに、ノベルゲーでは1つの選択肢でルートが決定されるものも多く存在する。
しかし、今でも選択肢の積み重ねで好感度を積み重ね、その合計でルートが決まるノベルゲーも一杯存在する。
ましてや、コマンド入力式やコマンド選択式では、「みる」コマンド4回で次に進むとか、回数で判断されるのが通常である。
あとは、それを内部にとどめるかプレイヤーにヒントとして示すかの違いでしかない。
だから数字が表示されたからと言って、必ずしもSLGになるわけではなく、数値の管理としての機能より進行度の目安として機能する場合には、古くからADVとして扱われてきている。
『イエローレモン』もまた、進行度の目安として好感度が表示された作品であり、これがADVであることに異論を唱える人はいないかと思う。
こういうのがADVと認識されにくくなったことに、時代の変化を感じてしまう。

もう1つ加えるなら、『ガールフレンドゆみこ』には、ユニークな機能が搭載されていた。
いわゆる「親が来た」モードというものである。
これは、Hな画面の最中に親とかが来たらまずいってことで、ボタン1つで入試問題など真面目な画面に瞬時に切り替わるモードである。
このような機能は、PC98時代までは頻繁に見かけた気もするのだけれど、WINDOWSの時代になってからは、あまり見かけなくなったように思う。

<ストーリー>

ストーリージャンルに関しては、本数が少ないわりには、むしろ広がっている。
前年から続くロリ路線では『ファイナルロリータ』や『マイ・ロリータ』、『イエローレモン』などがあるところ、『マイ・ロリータ』のように残虐性・鬼畜性を増したことでプラスアルファを図ったゲームも出てきた。

また、『TOKYOナンパストリート』はADVとSLGを融合させたゲーム性の高さで名作扱いされることの多い作品であるところ、80年代に多く見られるナンパ系作品の先駆け的立場でもある。
他にも『今日子NO1』や『フェアリーズレジデンス』など、80年代に流行するナンパモノが増えたのがこの年の特徴といえよう。
まぁ、くだけた言い方をするならば、たくさんの女の子が出てきて、その女の子らを襲ってしまえという作品が80年代に流行したのだが、そうした作品がこの年辺りから増えだしたと言えるのかなと。

一般モノに多かったファンタジー・冒険モノとしては、『エルドラド伝奇』や『アステカ』がある。
冒険モノはADVの最も基本たる内容ではあるが、今日のアダルトゲームでは、ほぼ絶滅したジャンルとなっている。
『エルドラド伝奇』はストーリーが高く評価された一方で、アダルト要素が含まれていることにより、アダルトゲームを好まない層からマイナスの評価もされた不遇な作品でもあった。
2000年前後くらいにストーリー重視のエロゲにエロは要らないだのという風潮が広まったが、そうしたシナリオゲーにおけるエロ不要論の問題は、実は、この時期まで遡ることが可能といえるのかもしれない。
とりあえず『エルドラド伝奇』の場合は、エロが蔑視されていた時期ということもあり、素直に評価されにくかったのだろう。

近年減った昔の定番モノとしては、推理モノである『軽井沢誘拐案内』がある。
ゲームジャンル的にもストーリージャンル的にも、アダルト系と一般系の近接化が図られた印象が強い年であるが、多くのジャンルが今日のアダルトゲームにはないものであり、今となってはかなり異質な雰囲気を醸し出している。

<美少女ゲームの誕生>

異質ということは、後の人からは認識されにくいということでもある。
つまり、自分の価値観や興味だけで考えてしまうと、対象の範囲外になってしまうと。
そういう場合、人はたまに自分に都合の良い概念を作り出し敷居を作って区別してしまう。
後のビジュアルノベルなんかも、そういう風に悪用された典型なのだが、歴史は繰り返すものであり、最初の例がこの年なのかもしれない。

すなわち、85年は、『天使たちの午後』(ジャスト)が発売された年でもあった。
俗に言う、「美少女ゲーム」の元祖の誕生である。

私はここまで「アダルトゲーム」という表現を多用しているし、近年は「エロゲー」ないし「エロゲ」という言葉が用いられることが圧倒的なのだけれど、80年代後半からPC98時代までは「美少女ゲーム」という表現が一番多く用いられていたように思う。
※なお、後に、一部の批評家が俺の考えた美少女ゲーム論ということで、勝手に美少女ゲームを定義しなおしているけれど、それとは意味あいが異なることに注意。
「美少女ゲーム」というのも、よく考えると、分かったような分からないような言葉ではあるが、確かに美少女と言ってしまうと、極端なロリや可愛らしさのかけらもないこれまでの作品は含まれないよなと思えてくる。
後の「萌え」に通じるような可愛らしさを伴った女性の登場という意味では、やっぱり『天使たちの午後』が初となるのだろう。

そうした、グラフィック的な側面から『天使たちの午後』の存在をピックアップし、称賛することは、何ら問題はない。
問題があるとすれば、それは、グラフィックにおける功績以外の付加価値を、勝手に『天使たちの午後』に見出してしまう場合に生じる。

『天使たちの午後』は、表面的には学園を舞台にした作品でもあり、多くの点で今日に通じる部分があるように見えやすい作品である。
そうすると、『天使たちの午後』で区切って、そこからあれこれ語りだすのは、乏しい知識をごまかすためには、非常に都合が良かったと言えよう。
しかし、だからと言って、その作品に存在しない価値まで勝手に付加するのは、完全に誤りなのである。

例えば、『天使たちの午後』の登場により、エロCGにゲーム性が付加されたとの見解を見たことがある。
しかし、これまでに見てきたように、広くアダルト全般というのなら、コマンド入力式のADVはいくつも存在する。
むしろゲーム性に関して言うのであれば、もっと優れた作品はいくつもあり、『天使たちの午後』によりゲーム性がついたのではなく、むしろ可愛い美少女さえあればゲーム性は二の次だろということで退化しているのである。
『天使たちの午後』がコマンド入力式ADVであることに違いはないのだが、進化ではなく退化だということで、実は方向性は逆なのである。

また、一見爽やかそうなCGが有名なことと、主人公が学生であることから、ゲームとして学園モノのイメージを抱かれがちだが、『天使たちの午後』は決してそんなゲームではない。
ヒロインは最後にしか登場しないし、それもHするための最終目標であり、そこに至る過程も、最終目標にたどり着くためにネタを元に女の子を犯してってことの連続なのである。
これ、今の作品でいえば陵辱系の作品が一番近いのであり、いわゆる学園モノとは、ほど遠い存在である。
したがって、ここからいわゆる学園モノという要素を導き出すのは無理がありすぎる。

加えて、ストーリーもキャラも、エニックスなど他社のストーリー重視なアダルトゲームの方が格段に優れているのである。
ストーリーに関しては主観もかかわってくる可能性は否定できないが、堀井氏渾身の作品と、Hだけが目的の作品を比べて、後者の方がストーリーが優れていると判断する人がいるとは想像すらできない。
キャラについても同様であり、本作によってエロゲにストーリー性が生まれただの、キャラ性が付加されただのという見解は誤りでしかない。

したがって、『天使たちの午後』からゲーム性が付いただの、ストーリーが付いただの、キャラ性が付いただの、学園モノの走りであるだの、その他いろいろな要素を導き出すのは、方向性として完全に誤りでしかないのである。
あくまでも「美少女」と呼べるような絵が使われた点において、元祖ということに過ぎないのである。

もちろん、それ以前のような劇画とロリだけでは対象が限られてしまうことから、例え絵だけであっても、「美少女ゲーム」と呼べるような、これまでとは大きく雰囲気の異なるゲームが出てきた点は非常に大きな意義があったといえる。
過大評価に対する否定意見が中心になってしまったが、『天使たちの午後』の持つ大きな意義が存在することは確かであるし、その点は称賛されて然るべきであろう。

<後世への影響について>

少し余談でもあるが、私は1つの作品を評価する場合、今までなかったものが新たに出てきたことに対しては評価するものの、それはあくまでも過去の作品との比較であって、ゲームの評価に後世への影響は含めていない。
例えば、今年発売の最新作をプレイして、面白ければその時点で素直に面白いと言って何が悪いのだろうか。
後世への影響ということは、後に似たような作品が出てくることと言い換えられるが、その後にパクったような類似作が発売されなければ高く評価できないというのは、何とも変な話である。
他方で、当該作品の評価を高めようと美化して、あれにも影響を与えた、これにも影響を与えたと言うと、後の作品のファンとしては鬱陶しいだけである。
加えて、ゲームの場合は、本当に斬新で作るのにも手間がかかる物は、かえって真似されないものである。
特にアダルトゲームの場合、真似されるというのは、手軽に作れつつ利益がでそうなものだからである。
魂の作品と呼べるようなものほど、意外と似た作品は出て来ないのである。
また、影響云々を言い出すと、どうしても書き手の主観の占める割合が高くなることから、評価に含めるべきではない。
だから私の評価では、『天使たちの午後』の場合、今までなかったような美少女の絵を用いたことを、プラスに評価するだけである。
しかし、もし後世への影響を重視するというのであれば、『天使たちの午後』は全てのエロゲに影響を与えたとして、最大級の評価をされるべき作品になってしまうのだろう。

ここら辺は、最終的には好みの問題とも言えるかもしれないが、私は後世への影響云々という偉そうな表現はあまり好きではないので、できるだけ使いたくない。
しかし、仮にある分野がブームになるとした場合、そのブームの先端にある作品・きっかけとなる作品が存在しうることは否定できない。
そこでそのような作品に先駆けという表現を使うことは多々あるし、表現の関係上、影響という言葉も使う事があるのだけれど、それもブームの始期を特定する意味でしかないのであり、殊更凄い作品だと持ち上げる意図でないことは理解してもらいたい。

<総括>

少しずれてしまったが、1985年は単純なゲームが淘汰され、一般ゲーを作る大手の会社がアダルト要素も取り込んだ作品を出すことにより、業界的には非常に良質でレベルの高いゲームが多かった年だった。
一般ゲームとも近い、ゲーム性重視路線の集大成的な年でもあったように思う。
他方で、美少女ゲームの登場により、新たな方向性も見出した年でもあった。

最後に、『天使たちの午後』以前と以後で語る人が多いからか、アダルトゲームを幾つかの時期に分ける場合、84年までと85年以降に分ける見解を見たことがある。
なるほど、『天使たちの午後』の登場より前と後というように安易に考えるのであれば、そうなるのだろう。
しかし、仮に時期を分けるのだとしても、84年以前と85年以降で分けるのは誤りだと思うし、この時期の作品を実際にプレイしているのであれば、84年までと85年以降に分けることに少なからず違和感を覚えてしまうはずである。
というのも、アダルトゲーム全体のレベルで見た場合、後の大手メーカーがアダルトゲームも作っていた85年までと、作らなくなった86年とでは、レベルの差が顕著なのである。
アダルトゲームは常に進化しているとは限らず、85年と86年の間には確実なレベルの低下が存在し、溝があるとするならば、それは85年と86年の間なのである。
また、エロゲ特有の、いわゆるノベルゲーが登場するのも86年である。
劇画だったり炉利だったりと、ヒロインの絵柄もいろいろ考えられるが、その中の一つとして『天使たちの午後』が登場したことは事実である。
しかし、一般ゲーと異なる道を歩みだし、エロゲ独自の文化が花開いたとするならば、それは86年からであり、他方で85年は、84年までの流れの集大成であるとして、85年までと86年以降で分けるべきなのである。

Last Updated on 2026-02-01 by katan

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